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徳川家斉の性格、特徴、趣味、嗜好や女性関係などの雑学的プロフィール

徳川家斉

試験にはちょっと出づらいし、おそらく仕事には役に立たないし、知ってても特に何かが変わるわけではないけど、いつかどこかで何かに役立つかもしれない息抜き専用雑学、

江戸幕府 十一代将軍・徳川家斉いえなり編。

徳川家斉に関して分かってる性格、特徴、趣味、嗜好や女性関係にちょっとしたエピソードなどを雑学的プロフィールとして記載しています。

徳川家斉の雑学的プロフィール

年代や数字に関して

  • 年代や星座等は基本的に新暦換算で記載しております。
  • 年数や年齢は代による暦の違いや数え年の違いから、出典により±1〜3年の誤差がある場合もございます。

徳川家斉の簡易プロフィール

徳川家斉

人物

  • 生誕:1773年11月18日生
    旧暦:安永2年10月5日
  • 星座:さそり座
  • 身長:約156cm
    江戸時代の平均身長
    155〜160cm

家系

  • 氏族:徳川将軍家
    血筋:一橋家
  • 幼名:豊千代
  • 父親:徳川治済
  • 母親:お富の方

将軍期間

奥方

子ども

晩年

徳川家斉をざっとおさらい

「徳川家斉」
出典:シーボルト著『NIPPON』徳川家斉

  • 約50年の超長期政権
  • 御三卿一橋家出身の初となる将軍
    御三卿
    徳川家の分家となる清水家、田安家、一橋家
  • 松平定信による「寛政の改革」
  • 朱子学を正学とした「寛政異学の禁」
  • 大御所となった後も実権を握る

家斉将軍期の主な出来事

  • 化政文化期
  • 本居宣長著『古事記伝』が完成
  • 間宮林蔵が「間宮海峡」を発見
  • 滝沢馬琴が『南総里見八犬伝』を発表
  • 小林一茶が『おらが春』を発表
  • 伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』が完成
  • シーボルトが長崎に「鳴滝塾」を開く
  • 葛飾北斎が『富嶽三十六景』を発表
  • 歌川(安藤)広重が『東海道五十三次』を発表
  • 天保の大飢饉

などなど

家斉将軍期の世界情勢

  • ジョージ・ワシントンがアメリカ初代大統領に就任
  • フランス革命が起こる
  • マリー・アントワネットが処刑される
  • ナポレオン皇帝が即位
  • ブラジルが独立
  • オームが『オームの法則』を発表

などなど

徳川家斉の性格・特徴・趣味・嗜好

文書

  • 在任期間、子宝数 歴代将軍No.12冠
  • 父親に逆らえない
  • けど我が強い
  • 超絶倫
  • 大の酒好きで相当な酒豪
  • 生姜好き
  • 精力剤愛好家
  • 権力好き
  • 三国志好き
  • 身体は頑丈で長生き
  • 人に対しては温厚

などなど

徳川家斉の人物像

徳川家斉

分かっているだけで、

  • 息子:26人
  • 娘 :27人

の計53人以上もの子どもをつくったとされる家斉。

子作り以外は他人任せ
が将軍就任前半のモットー。

まつりごと松平定信に任せっきりだったり、当時一橋家当主だった父・徳川治済はるさだ(「はるなり」とも)の言いなりだった模様。

その憂れいがあったためか、後半以降は自ら権勢を振るい、大御所となった後も実権は握り続けた。

権力の座にも割と固執するようになり、二代将軍・秀忠以来となる徳川将軍家3人目の、将軍職としては初となる太政大臣にも就任。

晩酌を毎晩欠かすことなく、どんなに飲んでも飲まれることはなかったそうで相当な酒豪だったご様子。

生姜チーズも大好きで、特に生姜は精力剤としても良いとされ毎日食べていたとか。
(偏頭痛薬との見方も)

精力剤のお気に入りは、家康も愛好していたとされるオットセイのペ◯スを粉末にしたもの

そのため一部からは、

家臣
家臣
オットセイ将軍

と呼ばれていたとか。

元来頑丈な身体のおかげか精力剤のおかげか、67歳まで生きたのは当時にすれば長生き

江戸時代の平均寿命
45〜50歳

子沢山だったことから、祝賀や養育費などで幕府の財政は確実に圧迫されていくも、家斉自身が割と豪奢な散財傾向にあった。

そのためか、綱吉〜吉宗〜家治と続いていた庶民への締め付けも緩み、町人文化の代表ともされる「化政文化」が一気に華ひらき、国学や蘭学なども大いに隆盛した。

徳川家斉の女性関係・色恋事情

目的遂行のためか?単に女好きか?

女性事情

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分かっているだけで53人もの子どもを遺した家斉。

と同時に、御三卿一橋家初の将軍でもあったことから、絶倫だったのは、

歴史家
歴史家
自らの子を徳川家親族や有力大名の元へ養子や嫁に出すことにより、家斉の出自である一橋家の血筋を反映させることが目的

で、

歴史家
歴史家
一橋家に権力を集中させる目論見があり、父・治済などからのプレッシャーも相当だった

との見方も。

ただ、特に将軍期前半は政務そっちのけで子作りに励みすぎており、多い年で年間同時に3〜4人もの子どもを儲けていたご活躍ぶりは、

目的遂行以上にやはり好きものでなかったら出来ない
メガネ
歴史家

との意見も多い。

正室との婚姻前に…

歌枕

通例、正室とは婚姻を結んでから夫婦の契を交わすのが一般的なのに対して、

徳川家斉
家斉
どうせ正室として迎えるのだから…

と婚姻前にもかかわらず手を出しているのが家斉流。

昼夜問わずお盛ん

家斉のお盛んぶりを描いた浮世絵
出典:国立国会図書館蔵
浮世絵

夜に側室たちとダブルヘッダーをしていたり、それだけでもまだ足りなかったか、昼間から大奥の女中たちの部屋をうろつき、気に入った娘がいれば手を出していたお盛んぶり。

好きもの認定?

着物

産まれながらか精力剤や生姜のおかげか、身体がとても頑丈だった家斉。

ちょっとした病で倒れ命を落とすことも少なくなかった時代、特に割と病弱体質にある徳川家において家斉自身は生涯たった数回の風邪をこじらせただけだったそうで、

巻物
冬でも肌着と数枚の薄着で過ごしていた

との記録が。

ただ、別の史料には、

徳川家斉
家斉
あの・・最中にはどうせ脱ぐし、いつでもこと・・に運べるようにしていた

と普段から薄着でいた理由が…。

やはり好きものであったご様子。

東京大学の赤門

東大の赤門

現在もある東京大学の名物・赤門。

元は、子どもが多すぎて娘の嫁ぎ先全部を把握しきれなかった家斉のために、自分の娘がどこの邸に嫁いだかすぐ分かるよう朱塗の門を建てさせたことに由来。

当時は、加賀藩・前田家の敷地でした。

家斉の性格や人柄が垣間見れるエピソード

エピソード

父・治済には逆らえず、子どもを作ってばかりの絶倫将軍なイメージが先行がちながら、その性格は割と温厚で人に優しいとされる家斉。

そんな家斉の性格や考え方などが垣間見れるエピソードをいくつかご紹介。

家斉流人心掌握術

お茶屋

三国志が大好きで何度も読み返していたそうな家斉。

ある日、家臣を連れて散歩中に寄った茶屋で一言。

徳川家斉
家斉
余はどうして孔明のような部下に恵まれないのだろうなぁ

凍りつく家臣一同。

それを見て笑いながら、

徳川家斉
家斉
まぁ、余も劉備のような名君ではないからなぁ

とちょっとした自虐ネタを。

しかし、家臣は気を引き締める一因になったとか。

気持ちを汲める

飛鳥山の桜

ある時、家臣の1人が

武士
上様は毎年初夏に王子へ行かれますが、春に行かれてはいかがでしょう。

春の方が飛鳥山の桜はたいそう美しいです。

と家斉に上申。

これを聞いた家斉、

徳川家斉
家斉
確かに桜は美しかろう。

だが、飛鳥山の桜は多くの庶民が楽しむところだ。

わしが行けば数日前から人の往来を禁じたりして、庶民の楽しみを奪う事になる

と言い、続けて

徳川家斉
家斉
これは隅田川でも御殿山でも同じ事ぞ

と付け加えたそう。

隅田川でも御殿山でも〜
ともに当時の桜の名所

家斉の庶民を思いやる気持ちに上申した家臣も大層恐れ入ったそう。

家斉、菊を愛でる

菊の花

ある時家臣に、

徳川家斉
家斉
今度菊を見ながら酒を呑みたい

みんな自分でつくった菊を持ってこい

と一年前に渡しておいた菊の根の話を持ち出した家斉。

後日、豪華絢爛たる菊が続々と運び込まれる中、誰がみてもショボい菊が1輪。

その並んだ菊を見て家斉が一言。

徳川家斉
家斉
みんなの菊は世があげた菊ではなく名人が作ったのを買って持って来たのだろう

正直なのはお前だけだ

お前の菊を見ながら呑むぞ

と、そのショボい菊と持ってきた家臣を愛でたそう。

ちなみに、その家臣が後の「天保の改革」主導者となる水野忠邦

父・治済に対する思い

言葉

家斉の将軍就任には父・治済が表向きにも裏向きにも動いていたことを知ってか、父・治済に対して頭が上がらなかったとされる家斉。

家斉将軍期に父・治済が権力を欲しいままにしていたときも静観の構えを貫いており、顔色を伺う存在だったそう。

そんな家斉の父・治済に対する思いが伺えるエピーソードを最後に3つほど。

自分の誕生日

ある時家臣が、

家臣
家臣
今日は自分の誕生日だ

と言いまわっているの見た家斉。

そんな姿を見て、

徳川家斉
家斉
最近は誕生日を自分のためのお祝いのように勘違いしている者が多いが、親に感謝し親が楽しんでもらうために祝う日だ

と語ったそう。

家斉の親を敬う気持ちが伺えるエピソード。

決して逆らわず

お酒

大の酒好きでかなりの酒豪だったとされる家斉。

決して飲んでも飲まれなかったそうで、年々酒の量は増えていっていたとか。

そんな家斉を見た父・治済がある時、

徳川治済
徳川治済
深酒は身体に悪いからほどほどに控えるように

と直接忠告した。

以後、家斉は1日3杯以上は一切飲まなくなったそう。

それからちょっと時が過ぎたある冬の鷹狩でのこと。

あまりの寒さから全員が酒を飲み暖を取ろうとするも、寒さは和らがず…。

どんどんお酒が進む面々。

そんな中ある家臣が、

武士
今日だけは深酒してもよろしいのでは?

と家斉に酒を進めるも、

徳川家斉
家斉
そこの飲まぬが男なり

と冗談を言ってかわすばかりで、結局3杯以上は決して飲まなかったとか。

家斉は何かを知っていた…?

ろうそくの灯り

初代・家康の江戸幕府開闢以降100年以上経っていたためか、家康への信仰も強くはなかったとされる家斉。

約50年と超長期政権ながら日光社参は一度も行わなかった。

が、家斉にとって遠戚にあたる先代将軍・家治の息子だった徳川家基の命日には毎年欠かさず自ら参詣していたそう。

万が一家斉自身が参拝出来ない時には家臣を代参させるほどのご執心ぶり。

徳川家基いえもと

十代将軍・家治の長男で、幼少期よりとても聡明だったことから

武士
十一代将軍になるだろう

と多くの家臣たちに目されていた人物。

将軍就任前に「家」の字を名前に賜るほど期待されていたが、18歳の若さで謎の死を遂げることに。。

徳川宗家の中で「家」の字を賜りながら唯一将軍になれなかったこともあり、

幻の十一代将軍

とされています。

家基と家斉の間に特別な関係も認められず、直系の血縁関係にあるわけでもない中でこのご執心ぶりは異例中の異例

ただ、

メガネ
歴史家
家斉の父・治済が家斉を将軍職に就けようとして家基を暗殺したのでは?

と家斉自身が疑っていた可能性がある

と指摘する歴史家も多数。

家斉にとって、

  • 父・治済はそうゆうこと・・・・・・をし得る人物だと見ていたこと
  • 自分のために命を落としてしまった家基への贖罪の意識

が垣間見える記録。

備考と参照

  • この記事は2018年までに分かっている史料等や諸記事を元に書かれております。
  • 今後見つかるかもしれない史料等によっては、全く違う内容になる可能性がある旨ご了承くださいませ。

家斉の次の代・前の代の将軍は…

参考文献など

  • 『徳川将軍列伝』
    著・北島正元
    出・秋田書店
  • 『徳川将軍家十五代のカルテ』
    著・篠田達明
    出・新潮新書
  • 『徳川名君名臣言行録』
    著・岡谷繁実、安藤英男
    出・新人物往来社
  • 『将軍の私生活』
    著・三田村鳶魚
    出・グーテンベルク21
  • 『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』
    著・鈴木尚
    著・東京大学出版会
  • 『徳川将軍家墓碑総覧』
    著・秋元茂陽
    出・星雲社
  • 『上様出陣!―徳川家斉挽回伝』
    著・牧秀彦
    出・徳間文庫
  • 『一九世紀前半の日本 -国民国家形成の前提-』
    著・藤田覚
    出・岩波書店
  • 『近代日本の政治家』
    著・岡義武
    出・岩波現代文庫

などなど他諸冊