徳川将軍 全15人の雑学的プロフィール(性格・特徴・趣味・嗜好など)まとめ

徳川将軍家 葵の御紋

江戸幕府を約265年間続け、歴代全15代まで数える一時代を築いた徳川家。

有名だったり実はそこまで知らない?将軍様もいたり、そんな徳川家全15代の歴代各将軍の簡単なプロフィールを、雑学的要素中心に記載しています。

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初代将軍:徳川家康

徳川家康像/狩野探幽画 大阪城天守閣蔵徳川家康

徳川家康の簡易プロフィール

家康の性格、特徴、趣味、嗜好など

  • 健康志向というかむしろ健康オタク
  • 策士
  • 我慢の男
  • 身分の高くない未亡人が好み
  • 奥さんが20人以上でけっこう子沢山
  • 薬の調合が得意
  • 感情を表に出さない
  • その統治手腕は歴代の各将軍の模範とされる

家康に関する蛇足的補足

徳川家康肖像画/出典:川越大師 喜多院蔵徳川家康

「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」からも伺える家康の性格。

生まれた時代が織田信長や豊臣秀吉と被っていたため、「大成為すには生きてこそ」の精神で、自分の番が来るのを準備して待たざるを得なかった、との見方もあります。

また、血筋の良い女性は外部から何かと目の敵にされたり、その女性自身も何かと煩い傾向にあり失敗してきた周りの人たちを見てきたせいか、家康自身は、身分の高くないむしろ庶民の女性で特にバツありを好んだ模様。

家康に関する数々の逸話

Link あることで家臣に笑われ家康が言った一言「わしはこれで天下をとったのだ!」

試験には出ない 徳川家康の雑学的プロフィール

2016.08.09

二代将軍:徳川秀忠

徳川秀忠像/出典:松平西福寺蔵徳川秀忠

徳川秀忠の簡易プロフィール

秀忠の性格、特徴、趣味、嗜好など

  • 結構間抜けエピソードを持つ御仁
  • 父へのあこがれ強い
  • 割りと温厚で生真面目
  • 頑固
  • 隠居し大御所となっていた家康との「タンデム政権」
  • マッチョ体型
  • 恐妻家?

秀忠に関する蛇足的補足

徳川秀忠肖像/出典:徳川記念財団蔵徳川秀忠

偉大すぎた父で大御所となっていた家康がほぼほぼ政を動かしていたり、家臣もほぼほぼ家康のいうことしか聞かなかったり、的な書かれ方をした史料が多いことから、割りと無能扱いを受ける秀忠。

関ヶ原の戦いの時には大遅刻したため、父・家康に大目玉を喰らう。。

しかし、将軍になってからは父・家康へのあこがれや実直な性格から自分でも政関係を特に頑張っていた模様。

家康の子なのに名前に「家」が付いていないのは、幼少の頃に豊臣秀吉の元へ人質として送られ、後日秀吉から「秀忠」の名を授かったため。

会津藩主、また四代将軍・家綱の参与として名君の誉れ高い保科正之は、秀忠の四男(隠し子扱い)で家光と異母兄弟だが、秀忠は最後まで実子としては認めなかったという。

秀忠の女性関係やエピソード

Link 関ヶ原の戦いでも大阪の陣でも秀忠が家康にめっちゃ怒られた理由がちょっと健気…

試験には出ない 徳川秀忠の雑学的プロフィール

2016.09.12

三代将軍:徳川家光

徳川家光像/出典:金山寺蔵 岡山県立博物館寄託徳川家光

徳川家光の簡易プロフィール

家光の性格、特徴、趣味、嗜好など

  • 割りと病弱
  • 色白
  • でも結構やんちゃ
  • 戦話が大好き
  • 外出、夜遊び好き
  • もっぱら男色
  • おじいちゃん(家康)大好き
  • 政治には割りと無関心(早年)
  • 冷徹、策士的な一面も(後年)

家光に関する蛇足的補足

徳川家光肖像/出典:徳川記念財団蔵別画・徳川家光

  • 鎖国制度の樹立
  • 参勤交代
  • 役職整備

などなど、歴史的に教科書に載る多くのことを遺した家光。

若い頃は割りと病弱で床に臥せることも少なくないながら、結構なやんちゃだったそう。

政に関しては、真面目な父で大御所となっていた秀忠が存命の頃は、父や重心たちに任せっきりで特に興味なかった模様。

また、祖父にあたる徳川家康をとても尊敬しており、天海主導の元、日光東照宮を合成に改築させたのも家光の時代。

戦の実体験話が好きで、

  • 伊達政宗
  • 藤堂高虎
  • 毛利秀元
  • 立花宗茂

といった戦国武将たちを招き、実際の合戦の話を聞くことを好んだそう。

中でも伊達政宗のことを大変深く尊敬し、外様大名としては異例な高待遇で接していたとか。

乳母である春日局の言うことは結構何でも聞いていた感あり、春日局の指南もあって政にも身を入れて取り組むようになったご様子。

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家光の強気発言&男色エピソード

Link 強気な発言連発したり男色気質だった家光さんの詳細はこちらです。

試験には出ない 徳川家光の雑学的プロフィール

2016.09.15

四代将軍:徳川家綱

徳川家綱肖像/出典:長谷寺寄託徳川家綱

徳川家綱の簡易プロフィール

家綱の性格、特徴、趣味、嗜好など

  • 内向的
  • 身体が丈夫ではなかった
  • あだ名は「然様さようせい様」
  • 絵画、釣りが趣味
  • 人情味ある優しさを持つ

家綱に関する蛇足的補足

徳川家綱肖像/出典:狩野安信画 徳川記念財団蔵別画・徳川家綱

先代で父・家光が急遽亡くなったこともあり、征夷大将軍を継いだのはわずか11歳の時。

若くして脳の病気を患ったためか、従兄弟のおじさんである保科正之を始めとした重臣たちが政を執り行い、家綱自身は「然様さようせい」が決まり文句の「然様せい様」とあだ名されていたとか。
(「左様せい」とも書く)

しかし、家臣のミスを庇ったり、明暦の大火の復興に率先して取り組んだりと、人情味溢れる一面も。

明暦の大火を経験しその教訓から、東京にある「両国橋」を作らせたのは家綱。

家綱の人情味溢れる逸話

Link 父・家光とは正反対の性格だった?家綱の人情味溢れるお吸い物エピソード

試験には出ない 徳川家綱の雑学的プロフィール

2016.09.17

五代将軍:徳川綱吉

徳川綱吉肖像/出典:土佐光起筆 徳川美術館蔵徳川綱吉

徳川綱吉の簡易プロフィール

綱吉の性格、特徴、趣味、嗜好など

  • 有言実行タイプ
  • 宗教(宗派問わず)大好き
  • あだ名は「犬公方」
  • 身長コンプレックス
  • 結構な勉強家
  • 能が大好き 芸術にも明るかった
  • 女性関係、男性関係も明るかった
  • ちょっと偏屈で癇癪持ち
  • 「水戸黄門」の徳川光圀と仲が悪い

綱吉に関する蛇足的補足

徳川綱吉肖像/出典;法隆寺蔵別画・徳川綱吉

ある史料の中には「大男」との記述があるものの、実際は130cmに満たず、結構な身長コンプレックス持ちだったとか。

部類の勉強熱心で、多方面(政治、経済、文化、宗教)に明るかった。

が故、自分の考えに固執する傾向もあり結構意固地な部分も。。

徳川光圀とは犬猿の仲に近く、光國が編纂した『大日本史』の中で綱吉は結構ボロカスにこき下ろされている。

この『大日本史』を元に徳川光圀を主人公としたドラマ「水戸黄門」の影響あってか、割りと悪評高い将軍とされているが、将軍としての才能は徳川全15代の中でもトップクラスだったと見る歴史学者は少なくない。

が、庶民からは不人気だったのも確か。

側室、子どもは多くはないが、女性関係・男性関係共に盛んだったといろんな史記にばっちり残っていて、全歴代将軍きっての「両刀使い」だった模様。

綱吉の色恋事情やエピソード

Check! 綱吉のちょっと過激な色恋事情を含めたエピソードを記載中。

試験には出ない 徳川綱吉の雑学的プロフィール

2016.09.17

六代将軍:徳川家宣

徳川家宣肖像/出典:徳川記念財団蔵徳川家宣

徳川家宣の簡易プロフィール

家宣の性格、特徴、趣味、嗜好など

  • 世直し将軍
  • 渋さあるナイスミドル
  • 庶民からの人気度高い
  • 慈悲深い
  • 勉強熱心
  • 家系図マニア
  • 猫背
  • 温厚

家宣に関する蛇足的補足

同郷甲府人の間部詮房新井白石らが登場するのもこの時期。

家宣が50代手前で急遽綱吉が亡くなり、綱吉と敵対していた徳川光圀の強いバックアップの元で将軍になる。

新井白石いわく、
君主でこれほどまでに学問に精通している方はどこを見渡してもいない
とか。

有能な人材を適所に配置したり、各分野の知識人登用による一致団結政治など、綱吉は割りと独断傾向にあったのに対し、それとは真逆に近い方針を進める。

庶民から不満の多かった先代綱吉が行ったことを徹底的に排除した世直し(文治)政治を推進し、温厚な性格でルックスも良かったことから庶民からの人気度は抜群だった。

重臣たちから見るに、猫背じゃなければさらに人気があったとかなかったとか。

流行病のインフルエンザにかかってしまい、就任からわずか3年ちょっとで無念の死をとげる。。

家宣の穏やかな人柄が分かるエピソード

Link クレーム処理に対する姿勢からも伺える家宣の性格

試験には出ない 徳川家宣の雑学的プロフィール

2016.09.18

七代将軍:徳川家継

徳川家継肖像/出典:長谷寺蔵徳川家継

徳川家継の簡易プロフィール

家綱の性格、特徴、趣味、嗜好など

  • 4歳で将軍に就任
  • 頭が良い
  • 間部詮房を父のように慕う
  • 年齢を考えると身長は大きかった
  • 将来有望

家継に関する蛇足的補足

徳川家継肖像/出典:徳川記念財団蔵別画・徳川家継

わずか4歳で将軍に就任し、8歳でこの世を去る。

見た目、顔立ちは凛々しく聡明でもあり、将来有望だったご様子。

時に大人顔負けの振る舞いを見せ、幼くして立場を理解しているそれだったとか。

側用人の間部詮房まなべあきふさを父のように慕い、詮房が外出から戻って来たときには自ら出迎え喜び抱き付くほどだったそう。

未来ある名前とは裏腹に、あまりにも若すぎる早世だった。

家継に関するエピソード

Link 間部詮房との関係性が分かる逸話

試験には出ない 徳川家継の雑学的プロフィール

2016.09.18

八代将軍:徳川吉宗

徳川記念財団蔵/出典:徳川吉宗像徳川吉宗

徳川吉宗の簡易プロフィール

吉宗の性格、特徴、趣味、嗜好など

  • 「暴れん坊将軍」のモデル
  • 「歴代将軍の中でもトップクラスの名君」との呼び声多い
  • 若い頃はやんちゃな肉食系
  • 米将軍
  • 自己プロディース力が高い
  • 自分の親族には甘い
  • 切れ者
  • 好奇心旺盛でアグレッシブ
  • 自らも身分も男女も関係ない超徹底的な倹約
  • 庶民からはあまり人気ない
  • 脳卒中を2度経験

吉宗に関する蛇足的補足

徳川吉宗肖像/出典:川村清雄画 徳川記念財団蔵別画・徳川吉宗

幼いころはやんちゃで手もつけられないほど本当に暴れん坊だったとか。

紀州藩にいた頃は、女性関係でもなかなかな暴れん坊(棒?)との記録も。

歴代の将軍が執り行った政をしっかり学び、良いことは進め、悪しきは排除する方針。

五代将軍・綱吉好きで、六、七代将軍の側用人だった間部詮房や新井白石の政策方針には否定的な考えだった。

が、鷹狩等を復活させ自分でもやったりして腕も相当良かったとされるとことか、綱吉絶対主義ではなかったご様子。

ちなみに、紀州藩主になるに伴い改名した際に、綱吉にあやかって「吉」の字をもらい、「吉宗」にしたと言われています。

目安箱を設けたり一般の意見を採り入れる措置を儲けるなど庶民の立場に寄り添おうとするも、食事内容などの倹約を促したため庶民からの人気は低かった。

また、徹底した倹約の1つで自ら大奥の大整理も行うが、その際「美女」をことごとく解雇。

理由は「美女は金がかかるから」

紀州藩主、将軍の座それぞれに就く際に、吉宗の他に多くの候補がいたにもかかわらず棚ボタ的な就任の仕方をしていることから、吉宗かその周辺の陰謀説も存在します。
(もしくはものすっごい強運だったか)

吉宗に関するエピソード

Link 親族が次々に亡くなったのは吉宗が裏で動いていた…?!「吉宗陰謀説」を紹介

試験には出ない 徳川吉宗の雑学的プロフィール

2016.09.19

九代将軍:徳川家重

徳川家重像/出典:伝狩野英信画 徳川記念財団蔵徳川家重

徳川家重の簡易プロフィール

家重の性格、特徴、趣味、嗜好など

  • 脳性麻痺からくる言語障害あり
  • 大奥が自分の部屋的感覚
  • 大岡忠光頼り
  • 政は田沼意次頼り
  • スカウト(人事)能力が高い
  • 脳麻痺、言語、頻尿等何かと患いが多い
  • 将棋が強い
  • 酒癖が悪い
  • 実は女性?説がある将軍

家重に関する蛇足的補足

徳川家重像/出典:長谷寺蔵別画・徳川家重

幼少の頃より大奥に入り浸り酒を嗜んでいたらしく、そのため健康を患い脳性麻痺を若くして発症してしまう。

その影響から言語障害があったとされ、大岡忠光しか言葉を理解出来なかったとか。

ただ、知脳は高く人材登用には優れた才能を見せている。

肖像画の顔が歪んだように描かれているのも脳障害が原因とされているが、当の家重自体はもっと整った顔だったとする見方もある。

また、脳性麻痺が原因で極度の歯ぎしり癖があった模様。

結構な道楽者で、父の吉宗も頭を悩ませていたらしい。。

家重女性説

徳川将軍家の中で唯一女性説があるのが九代将軍・家重。

その理由を5つに分けてこちらにまとめてみました。

Check 特徴や遺骨から考える【徳川家重女性説】5つのポイント

試験には出ない 徳川家重の雑学的プロフィール

2016.09.19

十代将軍:徳川家治

徳川家治像/出典:狩野典信画 徳川記念財団蔵徳川家治

徳川家治の簡易プロフィール

家治の性格、特徴、趣味、嗜好など

  • 幼き頃より天才
  • 祖父である吉宗から寵愛を受ける
  • 帝王学を始めとした英才教育
  • 何やっても才能あり
  • 愛妻家
  • おじいちゃん(吉宗)子
  • めっちゃ将棋好きで、かなり強い
  • 囲碁も好き
  • 絵も上手い
  • ビタミン不足?からくる無気力感(中年以降)
  • 田沼意次による暗殺説あり

家治に関する蛇足的補足

幼き頃より聡明で祖父・吉宗の寵愛を一身に受ける。

帝王学をはじめ政治等の勉強ごとの理解も早く、武術(剣・槍・銃)もトップクラス、芸術(能・絵画)方面も素晴らしい才能の持ち主で、正に天才

おじいちゃん(=吉宗)子で、吉宗の喜びが自分の喜び的だったのもあってか、吉宗の死後、政には無関心になっていきだんだんと趣味(将棋、囲碁、鷹狩等)に走りだす。

息子である家基の急死後は、完全に政意を喪失してしまった模様。。

それ故、将軍としては無能の扱いを受ける。

が、趣味をやらせればやっぱりすごくて、将棋は今で言うアマチュア高段者級の強さだったり、絵画もめっぽう上手だったとか。

さらに加えて、強烈な愛妻家

正室である倫子女王一筋も、後継者問題から渋々側室を持たされるが、側室との間に産まれた子は正室と育てる寵愛ぶり。

しかし、世子と目された2人の男子ともに早世してしまい、後継者問題には家治やその周囲を含めて最後まで苦労した。

田沼意次推薦の医師が処方した薬を飲んだ直後に危篤になったことから、田沼意次による暗殺との陰謀説が強く残った。

家治の心優しいエピソード

Link ため息をつく家臣をみて家治がとった優しい行動

試験には出ない 徳川家治の雑学的プロフィール

2016.09.20

十一代将軍:徳川家斉

徳川家斉像/出典:徳川記念財団蔵徳川家斉

徳川家斉の簡易プロフィール

家斉の性格、特徴、趣味、嗜好など

  • 超絶倫
  • 分かっているだけで子どもが53人以上
  • 変態的性癖あり
  • 大の酒好き
  • 生姜好き
  • 精力剤愛好家
  • 身体は頑丈で珍しいくらい長生き
  • 我が強い
  • 人に対しては温厚

家斉に関する蛇足的補足

分かっているだけで、息子26人、娘27人の計53人以上もの子どもをつくった

「子作り以外は他人任せ」が将軍就任前半のモットー。

絶倫だったのは、自らの子を徳川家親族や有力大名の元へ養子に出すことにより一橋徳川家の血筋を反映させ、権力を牛耳ることが目的で紀州藩からのプレッシャーがすごかった、との見方があるが、

単なる女好きだったか、目的遂行のためだったか、はたまたその両方だったのかは謎。

政は晩年まで松平定信に任せっきりだったが、後半以降は自ら権勢を振るい、大御所となった後も実権は握り続けた。

生姜やチーズが大好きで、特に生姜は毎日欠かすことなく、これが精力剤になったともされる。
(偏頭痛薬との見方も)

精力剤のお気に入りはオットセイのペ◯スを粉末にしたものだとか。

元来頑丈な身体のおかげか精力剤のおかげか、当時にすれば長生き
(平均寿命は45〜50歳)

家斉の女好きエピソード

check! 女好きで認定?家斉のお盛んな嗜好

試験には出ない 徳川家斉の雑学的プロフィール

2016.09.20

十二代将軍:徳川家慶

徳川家慶像/出典:徳川記念財団蔵徳川家慶

徳川家慶の簡易プロフィール

家慶の性格、特徴、趣味、嗜好など

  • なかなかの絶倫
    (子どもが27人以上)
  • 20歳以上になった子は1人だけで可哀想な親でもある…
  • 父(=家斉)が嫌い
  • 父(=家斉)の傀儡
  • あだ名は「そうせい様」
  • 父亡き後には手腕発揮
  • 生姜好き
  • 絵が上手い
  • 黒船が来た1ヶ月後に亡くなる

家慶に関する蛇足的補足

将軍になっても、大御所となっていた父・家斉が権力を振るっていたため、はじめはお飾り的な存在だった。

そのため自分に決定権がないのを認識していて、何事も「そうせい」と言うことから「そうせい様」とあだ名されてたとか。

父・家斉と考え方や宗教観が違ったりで、不仲だったとされるが、

  • 子だくさんなとこ
  • 生姜好きなとこ
  • 割と長生きなとこ

は父親似。

父・家斉が大御所として生きてた頃は、「そうせい」だったり趣味に没頭してるとこからダメ将軍とみなされる傾向に。

しかし、家斉の死後は水野忠邦であったり、まだ若かった阿部正弘などを登用したりと、自ら考える世直しを断行したり、損切りの早さをみせたりなど、人事能力指導力を発揮している。

家慶の女性に対する接し方

Link 父・家斉とは違う家慶の女性への接し方

試験には出ない 徳川家慶の雑学的プロフィール

2016.09.20

十三代将軍:徳川家定

徳川家定像/出典:徳川記念財団蔵徳川家定

徳川家定の簡易プロフィール

家定の性格、特徴、趣味、嗜好など

  • 家慶の子で唯一20歳以上になった子
  • 病弱体質
  • 脳性麻痺?
  • お菓子作り好き
  • ふかしイモ大好き
  • 人前嫌い
  • 癇癪持ち
  • なかなかの変人?
  • 実は聡明だった?

家定に関する蛇足的補足

黒船来航、先代家慶の急死など、慌ただしい中での将軍就任も、病弱で脳性麻痺からくる言動の不安定さから後継問題が就任時から囁かれており、「つなぎ」的立場だったとされる家定。

幼少時に患った天然痘の影響で顔にあざが残ってしまい、これが人前嫌いの出不精にさせた一因とか。
(肖像画ではあざは消されている)

数々の奇行が残っていたり、政よりお菓子を好み、重臣たちは激務な中でもカステラやふかし芋を自ら作って振舞っていたとされる。

そのため「イモ公方」と揶揄されるも、当時は暗殺や毒殺による陰険な実権争いも激しくなっていたことから、実は家定自身はしっかりしていて猜疑心あって自ら調理を覚えたり、あえて奇行を繰り返すことで自らの命を守っていた、とする説も。

死因には、

  • 脳性障害
  • 流行り病
  • コレラ
  • かっけ

などなど数説があり定かではなく、毒殺された疑いもある。。

家定の奇行は演技だった?

Link ハリス米領事館、朝比奈昌広の証言を元に考察
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試験には出ない 徳川家定の雑学的プロフィール

2016.09.20

十四代将軍:徳川家茂

徳川家茂肖像/出典:徳川記念財団蔵徳川家茂

徳川家茂の簡易プロフィール

家茂の性格、特徴、趣味、嗜好など

  • 聡明
  • 見た目も良い
  • 頭も良い
  • 病弱だった
  • 大の甘党
  • 虫歯が多い
  • 優しくて気が利くし機転も利く
  • 思慮深い
  • 責任感強い
  • 家臣や有力者からの人望が厚い
  • 辞意を朝廷に上申した唯一の将軍
  • 政略結婚ながら愛妻家で一途
  • ナポレオン3世、ファーブルとの親交もある

家茂に関する蛇足的補足

徳川家茂肖像/出典:川村清雄画 江戸東京博物館蔵徳川家茂

動乱の混迷期に幕臣の権力争いの末、13歳と若くして将軍職に就任する(担ぎあげられる)も,

  • 聡明な風貌や出で立ち
  • 頭脳明晰
  • 思慮深い性格

などから、家臣や有力者からの人望がとても厚かった

特に勝海舟とはお互いに信頼関係があり、家茂が亡くなった際には「徳川家、今日滅ぶ」とまで勝に言わしめた。

大の甘党で、ようかん、氷砂糖、金平糖、カステラ、懐中もなか等々間食ばかりしていたとされ、これが原因からか虫歯だらけだったご様子。

朝廷との距離を縮めるための政略結婚でも、妻・和宮を一途に愛し贈り物などの気配りも怠らず仲睦まじい様子だっとか。

若年ながら懸命に激動の時代に立ち向かおうとする家茂を、時代が違っていれば高い英名を遺しただろう、と見る歴史家は多い。

家茂の家臣を思うエピソード

Link 家茂らしからぬ悪ふざけの裏に隠された意図

試験には出ない 徳川家茂の雑学的プロフィール

2016.09.21

十五代将軍:徳川慶喜

徳川慶喜肖像/出典:二条城蔵徳川慶喜

徳川慶喜の簡易プロフィール

慶喜の性格、特徴、趣味、嗜好など

  • 文芸、武芸に精通
  • 学がある
  • 自分主義だけど評判を気にする
  • 空気読まない
  • 家臣からは嫌われる
  • 女性からも嫌われる
  • 慶喜けいき様」と呼ばれ一部には好かれる
  • 将軍として江戸城に入っていない唯一の将軍
  • 豚肉大好き「豚一様」
    (肉が好きな)
  • 手裏剣は日本でもトップクラス
  • 超多趣味
    (弓道、カメラ、自転車、油絵、釣り、刺繍等)

慶喜に関する蛇足的補足

徳川慶喜の写真徳川慶喜

江戸幕府の将軍になる前から政には積極的で、我が強く言うことがすぐ変わったりで、政敵も多く自ら敵を作り出してしまっていた感がある慶喜。

将軍就任時には京都で朝廷とのやり取りに奔走していたため、将軍として江戸城に入らなかった唯一の人物

鳥羽・伏見の戦い時に、家臣たちには「戦え」と指示しつつ、自分や重臣たちは戦場から離れた(そうせざるを得なかった、と見る向きも)ことで臆病者とする見方と、

大政奉還、江戸城無血開城を実現させたのは、多くの人命や混乱から日本を救った優れたリーダーとする見方に分かれる。

坂本龍馬、渋沢栄一などは後者。

時代が違えば名君との呼び声もあるが、逆に慶喜じゃなければ当時の難世を乗り越えられなかったという意見も多い。

以後の明治期以降の日本の礎を築いた1人であることは間違いない。

カメラ、弓道、油絵、狩猟、打毬うちまり、碁、将棋、刺繍、お菓子作り、能楽、魚釣り…などすっごい多趣味で、そのほとんどがプロ級の実力者

特に手裏剣は日本でもトップクラスだったとか。

慶喜の趣味に関する写真

Link 多趣味だった慶喜の作品画像集

試験には出ない 徳川慶喜の雑学的プロフィール

2016.09.22

参考と備考

  • 身長は愛知県岡崎市(三河国)の大樹寺にある等身大とされる位牌増上寺の遺骨改葬時調査記録を参考にしています。
  • 江戸時代の平均身長
    男性155~158cm
    女性143~146cm
    と考えられています。
  • 江戸時代の平均寿命45〜50歳と考えられています。
  • 年数や年齢は代による暦の違いや数え年の違いから、出典により±1〜3年の誤差があると思われます。
  • 生年月日や星座等は新暦を元に記述しています。
  • この記事は2015年までに分かっている史料等や諸記事を元に書かれています。
  • 今後見つかるかもしれない史料等によっては、全く違う内容になる可能性がある旨ご了承ください。
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