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徳川家慶の性格、特徴、趣味、嗜好や女性関係などの雑学的プロフィール

徳川家慶

試験にはちょっと出づらいし、おそらく仕事には役に立たないし、知ってても特に何かが変わるわけではないけど、いつかどこかで何かに役立つかもしれない息抜き専用雑学、

江戸幕府 十二代将軍・徳川家慶いえよし編。

徳川家慶に関して分かってる性格、特徴、趣味、嗜好や女性関係にちょっとしたエピソードなどを雑学的プロフィールとして記載しています。

徳川家慶の雑学的プロフィール

年代や数字に関して

  • 年代や星座等は基本的に新暦換算で記載しております。
  • 年数や年齢は代による暦の違いや数え年の違いから、出典により±1〜3年の誤差がある場合もございます。

徳川家慶の簡易プロフィール

徳川家慶

人物

  • 生誕:1793年6月22日生
    旧暦:寛政5年5月14日
  • 星座:かに座
  • 身長:約153cm
    江戸時代の平均身長
    155〜160cm

家系

  • 氏族:徳川将軍家
    血筋:一橋家
  • 幼名:敏次郎
  • 父親:徳川家斉(の次男)
  • 母親:香琳院

将軍期間

奥方

子ども

晩年

徳川家慶をざっとおさらい

「徳川家慶 肖像画」
出典:徳川記念財団徳川家慶

  • 水野忠邦による「天保の改革」
  • 大御所であり父・家斉が実権握る「大御所時代」
  • 家慶自体は権力弱め
  • 「そうせい様」
    (将軍期前半)
  • 人材登用に優れる
    (将軍期後半)

などなど

家慶将軍期の主な出来事

  • モリソン号事件
  • 緒方洪庵が「適塾」をひらく
  • 蛮社の獄
  • ペリーが浦賀に来航

などなど

家慶将軍期の世界情勢

  • 中国で「アヘン戦争」が勃発
  • マルクス著『共産党宣言』が完成
  • 中国で「太平天国の乱」が勃発

などなど

徳川家慶の性格・特徴・趣味・嗜好

文書

  • なかなかの絶倫
  • 27人の子を儲けるも20歳以上になった子は家定1人だけ
  • はじめは父・家斉の傀儡
  • 割と物静か
  • 父が嫌い
  • 倹約家
  • 生姜好き
  • 絵が上手い

などなど

徳川家慶の人物像

徳川家慶

将軍になっても大御所となっていた父・家斉が権力を振るっていたため、はじめはお飾り的な存在だった。

そのため自分に決定権がないのを認識していて、何事も

徳川家慶
家慶
そうせい

と言うことから、家臣たちからは

そうせい様
お侍

とあだ名されてたとか。

父・家斉と考え方や宗教観が違ったり、口もあまり利かなかったそうで不仲だったとされるものの、

  • 子だくさんなとこ
  • 生姜好きなとこ
  • 割と長生きなとこ

とかは結構父親似。

父・家斉が大御所として生きてた頃は「そうせい」だったり、絵画などの趣味に没頭していたり割と政に無関心ながら、

家斉の死後は水野忠邦であったり、まだ若かった阿部正弘などを登用し、自ら考える世直しを断行。

加えて、成果の挙がらない政策に関しては損切りの早さをみせたりと人事能力指導力を発揮している。

…が、ペリー率いる軍艦が浦賀に迫った「黒船来航」で、まさに激動の世となり指導力が求められる中、黒船来航から約2週間後に急逝してしまう。。

徳川家慶の女性関係・色恋事情

女性を大事にするタイプ

女性事情

子どもの数だけを見れば歴代将軍の中でも2番目に多い家慶。

父・家斉が女性に手当たり次第的なのとはちょっと違い、側室の人数は割りと少なく、且つ同じ側室との間に2〜4人の子どもを儲けていることから、

歴史家
歴史家
家慶は女性を大事にする方だった

と見る向きが多数。

家慶の女性との向き合い方

子が多く生姜好きで割りと長生き、と父・家斉と似ているところが多々ある家慶。

ある史料によると、

巻物
家斉は大奥を汎愛はんあいし、寵姫ちょうきの多くを貪った
意訳
家斉は大奥の女性たちみんなを別け隔てなく可愛がり、たくさんの女性と関係をもった
的な意味
巻物
家慶は鍾愛しょうあいし、時間をかけた
意訳
家慶は特定の女性と関係を持ち、一定期間以上大切にしてかわいがった
的な意味

とあり、女性との接し方は父・家斉とは違っていたご様子。

家慶の性格や人柄が垣間見れるエピソード

なかなかな倹約家

エピソード

先代将軍で父・家斉とは、

  • 子だくさんなとこ
  • 生姜好きなとこ
  • 割と長生きなとこ

などちょっと似ている部分があるものの、父・家斉のことをあまり良く思っていなかったとされる家慶。

歴史家
歴史家
宗教観や考え方が違ったため

とも言われており、中でも決定的に違ったのがお金の使い方。

父・家斉が豪奢で享楽的だったのに対して、家慶はなかなかの倹約家。

父・家斉は鷹狩や催事などでよく使用した浜御殿(現・浜離宮恩師庭園)の改築や維持費のためお金を湯水のごとく使っていたのに対して、家慶将軍期に浜御殿の修繕を行おうとしたところ、

徳川家慶
家慶
使用する材木の一本一本から徹底して節約するように

と直々にお達しを。

こうした家慶の倹約ぶりは、豆腐の大きさまで制約していった「天保の改革」主導者・水野忠邦の考えと合い通じるところがあったそう。

生姜大好き

生姜

水野忠邦主導の元、天保の改革を断行していた時のこと。

幕府内だけでなく庶民生活も対象となり、

  • 歌舞伎小屋の縮小、移転
  • 寄席の廃止
  • 食べ物の制約

などなど徹底した倹約が行われていた。

そんなある日、膳で焼き魚の添え物として出されていた大好物の生姜が無いことに気付く家慶。

なぜ生姜がないのか家臣に聞くと、生姜も倹約対象となり今後膳には出ない旨を知るや顔を真っ赤にさせ、

徳川家慶
家慶
生姜は倹約から外すように!

と水野忠邦に迫るほど生姜好きだったそう。

家定を可愛がる

「徳川家定 肖像画」
出典:徳川記念財団
徳川家定

27人の子を授かった家慶だったが、成人したのは後に十三代将軍となる家定だけだった。

その家定も幼い頃から割と病弱で、脳障害?の傾向が見られたことから、熱心なリハビリを行って大事に育てていたそう。

血縁を大事にするご時世、将軍の子がその職を継ぐのが常識とされる中、家定を守るため?か将軍職の煩いから家定を遠ざけようと正室の甥にあたる慶喜を後任に推すほどだったとか。

結局は家臣たちの説得あって家定が後任となることで了承するも、自分の息子を将軍にしたがらなかったのは歴代の中で家慶ただ一人

子が相次いで亡くなってしまう原因…

子に白粉を塗る様子
子に化粧をする様子

27人の子を授かるも成人したのは後に十三代将軍となる家定ただ一人。

先代で父・家斉も53人以上の子を儲けてますが、元服したのは約25人とちょっと異常なでに高い死亡率…。

  • 重臣たちによる将軍後継を巡る権力争い
  • 大奥による派閥闘争

などから暗殺や毒殺が将軍自身にまで及んでいたことが原因の1つとされいます。

が、ちょっと違う観点からの説も。

それが、化粧で使われる

白粉おしろい

将軍の子として産まれた場合、他の重臣たちに顔見せする会が度々催され、その都度顔中に白粉を塗りまくっていたそう。

問題となるのがこの白粉の成分で、当時使われていた代表的なものが、

  • 水銀

で、特に水銀は人体に有毒とされており皮膚からでも吸収され、人体に悪影響を及ぼします。

このため、

歴史家
歴史家
赤子のまだ間もない頃からある種の水銀中毒にさらされていた

ことが高い死亡率の原因と考えられています。

加えて、

化政文化期

と象徴されるように町人文化が華やいだ時代、女性の白粉化粧も豪華なものになっていたそう。

この風潮は大奥でも広まり、正室や側室だけでなく女中やほとんどの者が、

歴史家
歴史家
顔からお腹の辺りまで白粉を塗りたくっていた

とか。

当然女性も水銀中毒になる傾向が高いものの、最も危険なのは母乳を飲む赤子

白粉を塗りたくった乳に直接口をつけて吸うことで、水銀や鉛を体内に摂り込んでしまっているかたちに…。

医学的に知識の乏しかった江戸時代において、将軍の子として産まれた赤子に死亡率が多かったり病弱な子が目立つのは、このためだとも考えられています。

備考と参照

  • この記事は2018年までに分かっている史料等や諸記事を元に書かれております。
  • 今後見つかるかもしれない史料等によっては、全く違う内容になる可能性がある旨ご了承くださいませ。

家慶の次の代・前の代の将軍は…

参考文献など

  • 『徳川将軍列伝』
    著・北島正元
    出・秋田書店
  • 『徳川将軍家十五代のカルテ』
    著・篠田達明
    出・新潮新書
  • 『徳川名君名臣言行録』
    著・岡谷繁実、安藤英男
    出・新人物往来社
  • 『将軍の私生活』
    著・三田村鳶魚
    出・グーテンベルク21
  • 『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』
    著・鈴木尚
    出・東京大学出版会
  • 『徳川将軍家墓碑総覧』
    著・秋元茂陽
    出・星雲社
  • 『徳川家慶、推参』
    著・千野隆司
    出・ハルキ文庫
  • 『家慶の一歩』
    著・千野隆司
    出・角川春樹事務所
  • 『江戸城・大奥の秘密』
    著・安藤優一郎
    出・文春新書

などなど他諸冊