試験には出ない 徳川家慶の雑学的プロフィール

徳川家慶

多分試験には出ないし、おそらく仕事にも役に立たないし、知ってても特に何か変わるわけではないけど、いつかどこかで何かに役立つかもしれない息抜き専用雑学、

江戸幕府【十二代将軍・徳川家慶いえよし】編。

徳川家慶に関して分かってる性格・特徴・趣味・嗜好や、女性関係にちょっとしたエピソードなどを雑学的視点のプロフィールとして記載しています。

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徳川家慶の雑学的プロフィール

徳川家慶
  • 年代や星座等は新暦換算で記述しています。
  • 年数や年齢は代による暦の違いや数え年の違いから、出典により±1〜3年の誤差があると思われます。
  • 身長は愛知県岡崎市(三河国)の大樹寺にある等身大とされる位牌と、増上寺の遺骨改葬時調査記録を参考にしています。

家慶の簡易プロフィール

徳川家慶をざっとおさらい

  • 水野忠邦による「天保の改革」
  • 「そうせい様」

などなど

家慶将軍期の主な出来事

  • 大塩平八郎の乱
  • モリソン号事件
  • 蛮社の獄
  • ペリーが浦賀に来航

などなど

家慶将軍期の世界情勢

  • 中国で「アヘン戦争」が勃発
  • マルクス著『共産党宣言』が完成
  • 中国で「太平天国の乱」が勃発

などなど

家慶の特徴・性格・趣味・嗜好

  • なかなかの絶倫
  • 27人の子を儲けるも20歳以上になった子は1人だけ(=家定)
  • はじめは父(家斉)の傀儡
  • 父が嫌い
  • 生姜好き
  • 絵が上手い

家慶の人物像

徳川家慶肖像画徳川家慶

将軍になっても大御所となっていた父・家斉が権力を振るっていたため、はじめはお飾り的な存在だった。

そのため自分に決定権がないのを認識していて、何事も「そうせい」と言うことから「そうせい様」とあだ名されてたとか。

父・家斉と考え方や宗教観が違ったり不仲だったとされるが、子だくさんなとこ、生姜好きなとこ、割と長生きなとこは父親似。

父・家斉が大御所として生きてた頃は、「そうせい」だったり趣味に没頭してるとこから“ダメ将軍”とみなされる傾向にあるが、家斉の死後は水野忠邦であったり、まだ若かった阿部正弘などを登用し、

自ら考える世直しを断行したり、損切りの早さをみせたりと人事能力指導力を発揮している。

家慶の女性関係 色恋事情

女性事情

女性を大事にするタイプ

子どもの数だけを見れば歴代将軍の中でも2番目に多い家慶。

父・家斉が女性に手当たり次第的なのとはちょっと違い、側室の人数は割りと少なく、且つ同じ側室との間に2〜4人の子どもを儲けていることから、女性を大事にする方だった、と見る向きが多数。

女性との向き合い方

子が多く生姜好きで割りと長生き、と父・家斉と似ているところが多々ある家慶。

ある史料によると、

家斉は大奥を汎愛はんあいし、寵姫ちょうきの多くを貪った
(家斉は大奥の女性たちみんな別け隔てなく可愛がり、たくさんの女性と関係をもった、的な意味)

家慶は鍾愛しょうあいし、時間をかけた
(家慶は特定の女性と関係を持ち、一定期間以上大切にしてかわいがった、的な意味)

とあり、女性との接し方は父・家斉とは違っていたご様子。

家慶の人柄が垣間見れるエピソード

エピソード

生姜大好き

水野忠邦主導の元、天保の改革を行っていたときのこと。

ある日の膳で焼き魚の添え物として出されていた大好物の生姜が無いことに気付く家慶。

なぜないのか家臣に聞くと、生姜も倹約対象となり今後膳には出ない旨を知るや、顔を真っ赤にさせ

「生姜は倹約から外すように」

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と水野忠邦に迫ったとか。

備考

  • この記事は2015年までに分かっている史料等や諸記事を元に書かれています。
  • 今後見つかるかもしれない史料等によっては、全く違う内容になる可能性がある旨ご了承ください。
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