試験にはちょっと出づらいし、おそらく仕事には役に立たないし、知ってても特に何かが変わるわけではないけど、いつかどこかで何かに役立つかもしれない息抜き専用雑学、
江戸幕府 第九代将軍・徳川家重編。
徳川家重に関して分かってる性格、特徴、趣味、嗜好や女性関係にちょっとしたエピソードなどを雑学的プロフィールとして記載しております。
記事の中身をざっと見
徳川家重の雑学的プロフィール
年代や数字に関して
- 年代や星座等は基本的に新暦換算で記載しております。
- 年数や年齢は代による暦の違いや数え年の違いから、出典により±1〜3年の誤差がある場合もございます。
人物
- 生誕:1712年1月28日生
旧暦:正徳元年12月21日 - 星座 :みずがめ座
- 血液型:A型
- 身長 :約156〜160cm江戸時代の平均身長155〜160cm
家系
- 氏族:徳川徳川家
血筋:紀州徳川家 - 幼名:長福丸
- 父親:徳川吉宗(の長男)
- 母親:深徳院
将軍期間
- 就任時齢:35歳
- 在任期間:1745年〜1760年
- 在任年数:約14年6ヶ月
- 歴代順位:9位
参考 徳川将軍家 在任期間ランキングダレトク雑学トリビア
奥方
- 奥方数:3人
- 正室:1人
- 側室:2人
- 歴代奥方数:11位
参考 徳川将軍家 奥方数ランキングダレトク雑学トリビア
子ども
- 子宝数:2人
- 男の子:2人
- 女の子:0人
- 歴代子宝数:10位
参考 徳川将軍家 子宝数ランキングダレトク雑学トリビア
晩年
- 享年:49歳江戸時代の平均寿命45〜50歳
- 死因:尿路感染症、尿毒症
- 歴代長寿ランク:9位
参考 徳川将軍家 長寿ランキングダレトク雑学トリビア
徳川家重をざっとおさらい

徳川家重 肖像画
出典:長谷寺
- 大岡忠光、田沼意次などの側用人政治
- 各地で一揆が勃発
家重将軍期の主な出来事
- 山脇東洋・小杉玄通が日本初の医学解剖を実施
:1754(宝暦4)年 - 宝暦事件
:1758(宝暦8)年
などなど
家重将軍期の世界情勢
- モンテスキュー著が出版法の精神
:1748(延享5)年 - ベンジャミン・フランクリンが
「避雷針」
を発明
:1750(寛延3)年 - ルソー著が発表される人間不平等起源説
:1755(宝暦5)年
などなど
徳川家重の性格、特徴、趣味、嗜好
- 「小便公方」と揶揄されるほどの頻尿持ち
- 脳性麻痺からくる言語障害があった
- 歯ぎしり癖がひどかった模様
- 割と偏屈
- 何かと大岡忠光頼り
- スカウト(人事)能力が高い
- 将棋が強い
- 能が好き
- お酒大好き
- 酒癖が悪い
- 内向的
- 実はイケメン?
- 女性?説がある将軍
などなど
徳川家重の人物像
幼少の頃より大奥に入り浸り酒を嗜んでいたらしく、そのため健康を患い脳性麻痺を発症してしまうことに…。
その影響から

とされ、家臣で側用人だった

そう。
また、見つかった徳川家重の遺骨の歯はひどく摩耗しており、これも脳障害からくるもので

ご様子。
徳川家公式記録に近い肖像画の顔が歪んだように描かれているのも脳障害からくる顔面麻痺?が原因とされておりますが、

とする見方もあり、別に見つかっている徳川家重の肖像画は

など、その真偽は不詳とされております。
性格的には芸事(特に能)を好んだ結構な道楽者で、父・吉宗も頭を悩ませていたそう。
ただ、将棋が強かったり、幕政の人材登用には優れた才能を見せるなど、

模様。
内向的でちょっと偏屈な性格が災いしてか、家臣たちからあまり好かれておらず、徳川家公式記録の『徳川実紀』にも

的な書かれ方がされており、その評価は低いものの、近年の研究から

と評する歴史家も少なくありません。
徳川家重の性格や人柄が垣間見れるエピソード
実はずっと寂しかった…?
割と幼いころから脳性麻痺による言語障害や頻尿の患いなどがあったとされる徳川家重。
家重自身そのことをコンプレックスに感じていたようで、人前に出るのを嫌がりずっと部屋にこもりがちだったご様子。
ただ、

とされ、

と解釈する歴史家も。
また、晩年には身分の低い小姓だった田沼意次の経済観点が優れていることをいち早く見抜き、大抜擢するなど人事面でもその才能を発揮。
自分に言語障害があり、あまりの頻尿が故に家臣たちから

と揶揄されているのを知ってか、部屋にこもりがちだったとされながら、普段はほぼ接することのない一介の家臣の才能を見抜くなど、人に興味はあったご様子で、

と見る向きも。
それは、家重が大奥好きなことからも伺えるかもしれません。
徳川家重の女性関係・色恋事情
大奥大好き
自身のコンプレックスが故に家臣たちと上手く接せられない憂さを晴らすためか、単にお好きだったか

との記録がある家重。
ただ、その割には側室や子が少なかったことに疑問を呈する歴史家も多く、また下記理由から

と提唱する声も少なくはありません。
徳川家重女性説
歴代の徳川将軍家の中で唯一女性説がある家重。

その理由に挙げられる5つの観点をまとめてみました。
家重女性説:声を聞いた者がほとんどいない
小さい頃から言語障害があった家重の言葉を大岡忠光しかちゃんと理解できなかったことから、

そう。
そのため家重の声音を知るものが極端に少なく、

とする説。
家重女性説:頻尿だった
家臣たちから

と揶揄されるほどの頻尿持ちだった家重。
ただ、江戸時代において、

だったとする説
家重女性説:囲い式トイレを作らせた
出不精だったとされる家重が法要のため外出することに。
その道中となる江戸城(現:皇居)から寛永寺(東京・上野)までのわずか数kmの間に23箇所ものトイレを作らせました。
元々頻尿に悩んでいた家重ですが、当時は外出の際でも「筒持ち」という尿瓶もち係がいるので、

のに加え、作らせたトイレが全て囲い式だったことから、

とする説。
家重女性説:遺骸の納まり方
徳川将軍家の遺骸を収める際には

とされる中、徳川家重だけ

されております。
正座での埋葬は

とする説。
家重女性説:頭蓋骨や骨格が女性的?
徳川将軍家歴代全15人の骨盤写真によると

とする見方があります。
また当時の歯型の特徴として、
- 男性:楕円形
- 女性:V字形
とされ、家重の歯型はV字形に近い、とする説。
徳川家重の頭蓋骨写真と復元図
・V字型の歯型に尖った頬
比較対象:イケメンとされた六代将軍・家宣の頭蓋骨写真と復元図
出典情報
- 『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』
著・鈴木尚
出・東京大学出版会
そもそもなんで女性説が?
家重自身に江戸時代の女性的な特徴とされるものが垣間見えることもそうですが、

と見る向きがあります。
陰謀か強運か、

とされておりますが、別の要因として

と説く歴史家も。
将軍継嗣問題で揉める必要がないことが大きな理由として挙げられますが、それを計算に入れた吉宗が自分の子どもを

という説です。
このため、

と。
また、徳川吉宗は将軍職を家重に譲った後、

させており、実質的には実権を握り続け、

ことも補足ポイントとして挙げられております。
しかし、今のところはあくまで推測であり、確たる証拠は出てきておりません。
将軍職にある者がその職を辞して隠居すること。
将軍職にはないものの、

備考と参照
- この記事は2018年までに分かっている史料等や諸記事を元に書かれております。
- 今後見つかるかもしれない史料等によっては、全く違う内容になる可能性がある旨ご了承くださいませ。
徳川家重の次の代・前の代の将軍
参考文献など
- 『徳川将軍列伝』
著・北島正元
出・秋田書店 - 『徳川将軍家十五代のカルテ』
著・篠田達明
出・新潮新書 - 『徳川十五代史』
著・内藤耻叟
出・新人物往来社 - 『徳川名君名臣言行録』
著・岡谷繁実、安藤英男
出・新人物往来社 - 『将軍の私生活』
著・三田村鳶魚
出・グーテンベルク21 - 『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』
著・鈴木尚
出・東京大学出版会 - 『徳川将軍家墓碑総覧』
著・秋元茂陽
出・星雲社 - 『江戸城のトイレ』
著・小川恭一
出・講談社 - 『将軍と側用人の政治』
著・大石慎三郎
出・講談社現代新書 - 『剣客将軍 徳川家重』シリーズ
著・近藤五郎
出・コスミック出版
などなど他諸冊
徳川将軍家のご参考までに






