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徳川家重の性格、色恋、人柄エピソード選などの雑学的プロフィール

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徳川家重

江戸幕府第9代将軍 徳川とくがわ家重いえしげに関して分かっている

を中心に記載しております。

知っていても特に何かが変わるわけではない…けど、いつかどこかで何かに役立つかもしれない息抜き専用雑学としてご認識いただければ幸いです。

徳川家重の性格や特徴

巻物

小便公方と揶揄されるほどの頻尿持ち

脳性麻痺からくる言語障害があった?

歯ぎしり癖がひどかった模様

割と偏屈

何かと大岡おおおか忠光ただみつ頼り

スカウト(人事)能力が高い

将棋が強い

能が好き

お酒大好き

酒癖が悪い

割りと内向的

実はイケメン?

女性説がある将軍

など

徳川家重の人物像を深掘り

徳川家重

長谷寺蔵:徳川家重 肖像画

幼少の頃より大奥に入り浸り酒を嗜んでいたらしく、そのため健康を患い脳性麻痺を発症してしまうことに…。

その影響から

歴史家 歴史家 徳川家重には言語障害があった

とされ、

家臣 家臣 側用人の大岡忠光しか徳川家重の発する言葉をまともに理解出来なかった

そう。

また、見つかった徳川家重の遺骨の歯はひどく摩耗しており、これも脳障害からくるものと考えられており

徳川家重 徳川家重 四六時中、ずっと歯ぎしりが止まらなかった

ご様子。

徳川家公式記録の肖像画の顔が歪んだように描かれているのも脳障害からくる顔面麻痺?が原因とされておりますが、

歴史家 歴史家 本当の徳川家重自体はもっと整った顔だった

とする見方もあり、別に見つかっている徳川家重の肖像画は

歴史家 歴史家 全くの別人に見える

などその真偽は不詳とされております。

性格的には芸事(特に能)を好んだ結構な道楽者で、先代将軍で父・徳川とくがわ吉宗よしむねも頭を悩ませていたそう。

将棋が強かったり、幕政の人材登用には優れた才能を見せるなど、父に似て

家臣 家臣 知能的にとても高く、人を見る目も確かだった

模様。

内向的でちょっと偏屈な性格が災いしてか家臣たちからあまり好かれておらず、徳川家公式記録の『徳川実紀』にも

歴史書 父である徳川吉宗将軍時代の恩恵が多く、徳川家重自体は特に大した功績もなく無難に過ごした将軍

的な書かれ方がされており評価は低いものの、近年の研究からは

歴史家 歴史家 頭脳明晰で実は隠れた名君

と評する歴史家も少なくありません。

徳川家重の性格や人柄が垣間見れるエピソード

書

実はずっと寂しかった…?

割と幼いころから脳性麻痺による言語障害や頻尿の患いなどがあったとされる徳川家重。

徳川家重自身そのことを結構コンプレックスに感じていたようで、人前に出るのを嫌がりずっと部屋にこもりがちだったご様子。

ただ、

歴史家 歴史家 脳障害といえど、しっかりと自覚しているということは、思考的な問題はなかった

とされ、

歴史家 歴史家 自分を客観的に捉えられる視点を持っていた

と解釈する歴史家も。

また、晩年には身分の低い小姓だった田沼たぬま意次おきつぐの経済観点が優れていることをいち早く見抜き大抜擢するなど、人事面でもその才能を発揮しております。

自分に言語障害があり、あまりの頻尿が故に家臣たちから

奉公人 小便公方様

と揶揄されているのを知ってか、部屋にこもりがちだったそう。

ですが、普段はほぼ接することのない一介の家臣の才能を見抜くなど人に興味はあったご様子

歴史家 歴史家 実は人と接したかったものの、それが叶わずにいるのがずっと寂しかったのでは…

と見る向きも。

それは徳川家重が大奥好きなことからも伺えるかもしれません。

徳川家重の女性関係 色恋事情

着物女性たちの花見

大奥大好き

自身のコンプレックスが故に家臣たちと上手く接せられない憂さを晴らすためか、単にお好きだったか

歴史書 小さい頃から大奥に入り浸っては酒を嗜んでいた

との記録がある徳川家重。

ただ、その割には側室や子が少なかったことに疑問を呈する歴史家も多く、また下記理由から

説 徳川家重は女性だったのでは?

と提唱する声も少なくはありません。

徳川家重女性説

うちわ

歴代の徳川将軍家の中で唯一女性説がある徳川家重

なぜ女性説が出てきたのか?

を理由として挙げられる5つの観点からまとめてみました。

徳川家重の声音を聞いた者がほとんどいない

見ざる

小さい頃から言語障害があった徳川家重の言葉を大岡忠光しかちゃんと理解できなかったことから、

家臣 家臣 将軍になってからもほとんど大岡忠光にしか話しかけなかった

そう。

そのため家重の声音を知るものが極端に少なく、

説 これは声から女性だとバレるのを隠すためではないか?

とする説。

徳川家重は頻尿だった

トイレ

家臣たちから小便公方様と揶揄されるほどの頻尿持ちだった徳川家重。

江戸時代において、

説 頻尿は女性に多い疾患の1つで、徳川家重が頻尿だったということは…

説。

囲い式トイレを作らせた

隠れ

出不精だったとされる徳川家重が法要のため外出することに。

その道中となる江戸城(現:皇居)から寛永寺(東京・上野)までのわずか数kmの間に23箇所ものトイレを作らせました。

元々頻尿に悩んでいた家重ですが、当時は外出の際でも「筒持ち」という尿瓶もち係がいるので、

歴史家 歴史家 男性なら小用を足すのにそもそもトイレ自体作る必要がなかった

のに加え、作らせたトイレが全て囲い式だったことから、

説 用を足しているところを覗かれてはマズイ何かがあったからでは?

とする説。

徳川家重の遺骸の納まり方

瞑想

徳川将軍家の遺骸を収める際には

歴史家 歴史家 あぐらの形で収めるのが慣例

とされる中、徳川家重だけはなぜか正座の形で発見されております。

正座での埋葬は当時における女性の遺骸の収め方

歴史家 歴史家 徳川家重の遺骸だけ正座で収められていたということは…

とする説。

徳川家重の頭蓋骨や骨格が女性的?

椅子

徳川将軍家歴代全15人の骨盤写真によると

歴史家 歴史家 徳川家重の遺骸だけ正座で収められていたということは…

とする見方があります。

また当時の歯型の特徴として

  • 男性:楕円形
  • 女性:V字形

だと考えられており、

説 徳川家重の歯型はV字形に近い

とする説。

徳川家重

徳川家重の頭蓋骨写真と復元図 V字型の歯型に尖った?頬

徳川家重

比較対象:イケメンとされた第6代将軍 徳川家宣の頭蓋骨写真と復元図

そもそもなんで女性説が?

疑問

徳川家重自身に江戸時代の女性的な特徴とされるものが垣間見えることもそうですが、

歴史家 歴史家 元々は父であり先代将軍 徳川吉宗の意向が絡んでいるのではないか?

と見る向きがあります。

陰謀か強運か、徳川吉宗が将軍になれたのは超偶然的なラッキーが重なったためとされておりますが、別の要因として

歴史家 歴史家 徳川吉宗にはすでに嫡男として家重がいたことも大きかった

と説く歴史家も。

将軍継嗣問題で揉める必要がないことが大きな理由として挙げられますが、それを計算に入れた吉宗が自分の子どもを

説 密かに女子を男子と偽って嫡男とすることで、自身の将軍選定レースを有利に運ぶよう偽装していた

という説です。

このため、

説 周囲には男と偽っていたため、最期まで「男」として押し通すしかなかった

と。

また、徳川吉宗は将軍職を家重に譲った後に、第2大将軍徳川秀忠以来となる大御所制度を復活させており、実質的には実権を握り続け

説 家重が将軍になっても表舞台から極力遠ざけようとした?意図が感じられる

ことも補足ポイントとして挙げられております。

しかし、今のところはあくまで推測であり、確たる証拠は出てきておりません

将軍職にある者がその職を辞して隠居すること。

将軍職にはないものの、

歴史家 歴史家 実質的に施政を行い、実権を握るケースがほとんど

でした。

徳川家重の雑学的プロフィール

徳川家重

徳川家重 肖像

人物

  • 生誕
  • 1712年1月28日
  • 旧暦:正徳元年12月21日
  • 星座
  • みずがめ座
  • 身長
  • 約156〜160cm

江戸時代の平均身長

155〜160cm

家系

  • 血筋
  • 徳川将軍家
  • 血筋:紀州徳川家
  • 幼名
  • 長福丸ちょうふくまる
  • 父親
  • 徳川とくがわ吉宗よしむね
  • の長男
  • 母親
  • 深徳院しんとくいん

将軍期間

奥方

子ども

晩年

江戸時代の平均寿命

45〜50歳

徳川家重将軍期の主な世情

徳川家重将軍期の主な施策

側用人政治大岡忠光田沼たぬま意次おきつぐなど

など

国内の主な出来事

各地で一揆が勃発

山脇やまわき東洋とうよう小杉こすぎ玄適げんてき日本初の医学解剖を実施1754(宝暦4)年

宝暦事件1758(宝暦8)年

など

徳川家重将軍期の世界情勢

モンテスキュー著
法の精神が出版1748(延享5)年

ベンジャミン・フランクリンが
避雷針を発明1750(寛延3)年

ルソー著
人間不平等起源説を発表1755(宝暦5)年

など

徳川家重の次代将軍、先代将軍

当記事の参照や備考

徳川記念財団

国立国会図書館

一部個別に記載

掲載内容に関して

年代や星座等は基本的に新暦換算で記載しております。

年数や年齢は代による暦の違いや数え年の違いから、出典により±1〜3年の誤差がある場合もございます。

掲載画像はあくまで参考イメージとしてご覧くださいませ。

当記事は2022年末までに分かっている史料等や諸記事を元に記載しております。

今後見つかるかもしれない史料等によっては、全く違う内容になる可能性がある旨ご了承くださいませ。

参考文献など

※ 以下順不同敬称略

  • 『徳川将軍列伝』著:北島正元版:秋田書店,1989/12/1
  • 『徳川将軍家十五代のカルテ』著:篠田達明版:新潮新書,2005/5/16
  • 『徳川十五代史』著:内藤耻叟版:新人物往来社,1985/11/1
  • 『徳川名君名臣言行録』著:岡谷繁実、安藤英男版:新人物往来社,1981/1/1
  • 『将軍の私生活』著:三田村鳶魚版:グーテンベルク21,2016/1/15
  • 『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』著:鈴木尚版:東京大学出版会,1985/12/1
  • 『徳川将軍家墓碑総覧』著:秋元茂陽版:星雲社,2008/1/10
  • 『江戸城のトイレ、将軍のおまる』著:小川恭一版:講談社,2007/10/16
  • 『将軍と側用人の政治』著:大石慎三郎版:講談社現代新書,1995/6/1
  • 『剣客将軍 徳川家重』シリーズ著:近藤五郎版:コスミック出版,2016/12/9

など他諸冊

徳川将軍家のご参考までに

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