試験には出ない 徳川家重の雑学的プロフィール

徳川家重

多分試験には出ないし、おそらく仕事にも役に立たないし、知ってても特に何か変わるわけではないけど、いつかどこかで何かに役立つかもしれない息抜き専用雑学、

江戸幕府【九代将軍・徳川家重いえしげ】編。

徳川家重に関して分かってる性格・特徴・趣味・嗜好や、女性関係にちょっとしたエピソードなどを雑学的視点のプロフィールとして記載しています。

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徳川家重の雑学的プロフィール

徳川家重

  • 年代や星座等は新暦換算で記述しています。
  • 年数や年齢は代による暦の違いや数え年の違いから、出典により±1〜3年の誤差があると思われます。
  • 身長は愛知県岡崎市(三河国)の大樹寺にある等身大とされる位牌と、増上寺の遺骨改葬時調査記録を参考にしています。

家重の簡易プロフィール

徳川家重をざっとおさらい

  • 大岡忠光、田沼意次などの側用人政治
  • 各地で一揆が勃発
  • 小便公方

家重将軍期の主な出来事

  • 宝暦事件
  • 山脇東洋・小杉玄通が日本初の医学解剖を行う

などなど

家重将軍期の世界情勢

  • モンテスキュー著『法の精神』が完成
  • ルソー著『人間不平等起源説』が完成
  • ベンジャミン・フランクリンが避雷針を発明

などなど

家重の特徴・性格・趣味・嗜好

  • 小便公方と揶揄されるほど頻尿持ち
  • 脳性麻痺からくる言語障害があった
  • 歯ぎしり癖がひどかった模様
  • 大岡忠光頼り
  • スカウト(人事)能力が高い
  • 将棋が強い
  • 能が大好き
  • 酒癖が悪い
  • 実はイケメン?
  • 実は女性?説がある将軍

家重の人物像

出典:徳川家重肖像画/長谷寺蔵別画・徳川家重

幼少の頃より大奥に入り浸り酒を嗜んでいたらしく、そのため健康を患い脳性麻痺を発症してしまう。

その影響から言語障害があったとされ、大岡忠光しか家重の発する言葉を理解出来なかったとか。

見つかった家重の遺骨の歯はひどく摩耗しており、これも脳障害からくるもので四六時中歯ぎしりが止まらなかったご様子。

肖像画の顔が歪んだように描かれているのも脳障害からくる顔面麻痺?が原因とされているが、当の家重自体はもっと整った顔だったとする見方もあり、歴代将軍の中で最もイケメンだった(?)、という声も。

芸事(特に能)を好み結構な道楽者で、父・吉宗も頭を悩ませていたとか。

ただ、将棋が強かったり、幕政の人材登用には優れた才能を見せており、知能は高く人を見る目は確かだった模様。

家重の女性関係 色恋事情

女性事情

大奥大好き

小さい頃から大奥に入り浸っていて酒を嗜んでいた、との記録がある家重。

その割には側室や子が少なかったことに対して疑問を呈する歴史家も多く【家重女性説】を唱える方々の中には、自分の好きなこと一辺倒になりがちな家重の性格上、

「実は女子会三昧だった?」

との見方も。

家重女性説

噂

徳川将軍の中で唯一女性説がある家重

なぜ女性説が出てきたのか?その理由に挙げられる5つの観点をまとめてみました。

女性説1:声を聞いた者がほとんどいない

脳に障害があったとされ、そのため言語障害だった家重の言葉を大岡忠光しか理解できず、家重自身も大岡忠光にしか話しかけなかったとか。

そのため家重の声音を知るものが極端に少なく、これは声から女性だとバレるのを隠すためではないか?とする説

女性説2:頻尿だった

江戸時代、頻尿は女性に多い疾患の1つだった、とする説

女性説3:囲い式トイレを造らせた

江戸城(皇居あたり)から寛永寺(上野)までのわずか数kmの間に23箇所ものトイレを作らせた。

元々頻尿に悩んでいた家重だが、外出の際でも「筒持ち」という尿瓶もち係がいるので、そもそもトイレ自体作る必要がなかったのに加え、造らせたトイレが囲い式だったから、とする説

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女性説4:遺骸の納まり方

各歴代将軍の遺骸を収める際には「あぐら」の形で収めるのが通例とされる中、家重だけ「正座」の形だった。

正座での埋葬は当時の女性の遺骸の収め方だった、とする説

女性説5:頭蓋骨や骨格が女性的?

各歴代将軍の骨盤写真によると骨の形状等が細く丸みがあり女性的だった、とする見方が。

また当時の歯型の特徴として、

  • 男性:楕円形
  • 女性:V字形

とされ、家重の歯型はV字形に近い、とする説。

徳川家重の頭蓋骨写真と復元図
・V字型の歯型に尖った頬
徳川家重の頭蓋骨

比較対象:イケメンとされた六代将軍・家宣の頭蓋骨写真と復元図
両写真参照:鈴木尚著「骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと
徳川家宣の頭蓋骨

そもそもなんで女性説?

家重自身、江戸時代の女性的特徴がちらほら伺えることもそうですが、元々は父であり先代・吉宗の意向ではなかったか、と見る向きがあります。

吉宗が将軍に選ばれた要因の一つに「嫡男・家重がいたことであった」とされていて、吉宗が子どもを「女子を男子と偽って嫡男とする」ことで自身の将軍選定レースに有利に働くように偽装していた、という説です。

このため、周りには男と偽っていたため最期まで「男」として押し通すしかなかった、と。

しかし、今のところはあくまで推測であり確たる証拠は出てきてはいません

備考

  • この記事は2015年までに分かっている史料等や諸記事を元に書かれています。
  • 今後見つかるかもしれない史料等によっては、全く違う内容になる可能性がある旨ご了承ください。
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