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徳川家継の性格、特徴、趣味、嗜好や女性関係などの雑学的プロフィール

徳川家継

試験にはちょっと出づらいし、おそらく仕事には役に立たないし、知ってても特に何かが変わるわけではないけど、いつかどこかで何かに役立つかもしれない息抜き専用雑学、

江戸幕府 七代将軍・徳川家継いえつぐ編。

徳川家継に関して分かってる性格、特徴、趣味、嗜好や女性関係、ちょっとしたエピソードなどを雑学的プロフィールとして記載しています。

徳川家継の雑学的プロフィール

年代や数字に関して

  • 年代や星座等は基本的に新暦換算で記載しております。
  • 年数や年齢は代による暦の違いや数え年の違いから、出典により±1〜3年の誤差がある場合もございます。

徳川家継の簡易プロフィール

徳川家継

人物

  • 生誕:1709年8月8日生
    旧暦:宝永6年7月3日
  • 星座:しし座
  • 身長:約135cm
    江戸時代の平均身長
    155〜160cm

家系

  • 氏族:徳川将軍家
    血筋:甲府徳川家
  • 幼名:鍋松
  • 父親:徳川家宣(の四男)
  • 母親:お喜代の方(月光院)

将軍期間

奥方

  • 奥方数:0人

子ども

  • 子宝数:0人

晩年

徳川家継をざっとおさらい

「徳川家継 肖像画」
出典:徳川記念財団
徳川家継 肖像画

  • 歴代最年少の4歳で将軍に就任
  • 政治は新井白石、間部詮房が主導の「正徳の治」
  • 朝廷に元服してもらった徳川家唯一の将軍
  • 歴代最年少の8歳で逝去

などなど

家継将軍期の主な出来事

  • 江島生島事件
  • 貝原益軒が『養生訓』を発表

などなど

家継将軍期の世界情勢

  • 清で『康煕こうき字典』が完成

などなど

徳川家継の性格・特徴・趣味・嗜好

文書

  • 頭が良い
  • 将来有望
  • 病弱がち
  • 心優しい
  • 慈悲深い
  • 父・家宣好き
  • 間部詮房を慕う
  • 年齢を考えると身長は大きかった?

などなど

徳川家継の性格や人物像

徳川家継

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歴代将軍最年少となる4歳で将軍に就任し、8歳でこの世を去る。

年齢は数え年等で±1前後の誤差あり

見た目、顔立ちは凛々しく聡明で将来有望だったとされる御仁。

時に大人顔負けの振る舞いを見せ、幼くして自分の立場を理解してそう。

家継4歳の時に父・家宣が他界した後、側用人の間部詮房まなべあきふさを父のように慕っており、詮房のちょっと厳しい言いつけもきちんと守っていたとか。

身長は位牌を参考にして計測されており、8歳という年齢を考えれば、

歴史家
歴史家
当時にしてはとても大きい背丈だった

と推察されてます。

徳川家継の女性関係・色恋事情

婚約者1人のみ

女性事情

若くして将軍になり正室候補としての婚約者はいるも、家継自身が早世そうせいしてしまい、正式な婚姻は結ばれず。

早世
10歳未満で亡くなってしまうこと

徳川家継の性格や人柄が垣間見れるエピソード

エピソード

礼をわきまえていた

お辞儀

幼い頃より、

武士
父である六代将軍・家宣様に似て聡明で立ち振舞も上品だった

とされる家継。

将軍となってまだ間もないある日のこと、

公家が家継の元へ謁見し深々と頭を下げたのに対して、家継は軽く会釈しただけで見送ったそう。

その姿は幼少ながら将軍としてとても自然な振る舞いであり、大人顔負けのそれだったとか。

間部詮房との親交

間部詮房

側用人である間部詮房まなべあきふさを父のように慕っていた家継。

詮房のことを官職である「越前守」から

徳川家継
家継
えち

と呼び、常に一緒に行動していたそう。

ある時、間部詮房が諸用の外出で帰りが遅くなると、

徳川家継
家継
えちを迎えに出よう

と言って家継自ら詮房の帰りを玄関先で待っていたり、詮房が帰ってくると喜んで抱き付いたほどだったとか。

また、家継に対して間部詮房は優しくも厳しい教育をしていたとされ、詮房不在時に家継がぐずったりしても

武士
詮房様が来られます(ウソ)

と言うと、変な姿を見られまいとすぐおとなしくなったそう。

一挙手一投足に皆感涙

水玉

元来父である六代将軍・家宣に似て慈悲深く心優しい幼年だった家継。

そんな家継に周りの従事や家臣たちが心打たれる場面がいくつかエピソードとして残っています。

心優しい家継

お膳

ある晩の御膳を食べようと箸を持った際に、ふと

徳川家継
家継
じいは食事済んだかな?

と一言。

じい
老臣・井伊直治に対する家継の呼び名

この時直治は風邪をこじらせており一足早く早退していた。

そのことを別の家臣から聞くと、

徳川家継
家継
もし食事摂れてないようだったら、これをあげてください

と自分の食事をそのまま直治に届けるように伝えたそう。

体調の優れない老臣を気遣う家継に、その場にいた家臣たちは皆胸打たれた模様。

物憂げな家継

居間

父である六代将軍・家宣と良好な親子関係だったとされる家継。

父・家宣が亡くなってしばらくした時のこと。

家臣の一人が良かれと思って家継を父・家宣が使っていた居間に連れて行った。

が、父・家宣との会話を思い出し家継は涙を浮かべてふさぎ込んでしまったそう…。

その物憂げな姿を見てその場にいた家臣たちは皆もらい泣き。

あどけない家継

能舞台

江戸城内にある能舞台での一幕。

父を想い慕っていた家継は、能楽が好きで自ら舞の練習をしていた父・家宣の姿を思い出し、自ら能舞台に上がると、

徳川家継
家継
ととぽむ、ととぽむ

と舞う素振りを見せ父・家宣の真似事を。

そのあどけない姿を見た家臣たちは一同皆感涙。

『徳川実記抄録』より

朝廷に元服された唯一の将軍

庭

父であり先代の六代将軍・家宣が亡くなった時、次期将軍とされていた家継はまだ幼名・鍋松なべまつを名乗っており元服前だった。

当時の徳川将軍家の慣例では、

次期将軍は父である将軍から新たな名をもらい元服した者
との習わしがあった。

元服
成人を表す通過儀礼のひとつ。

江戸時代では数え年で、

  • 男子:12〜16歳頃
  • 女子:18〜20歳頃

に行われるのが割と一般的でした。

また、

  • 「元」=頭、首を指す
  • 「服」=「着る」という意味

から、

頭に冠をつける

という意味で、

  • 加冠の儀
  • 初冠ういこうぶり

とも言われます。

加えて、特に江戸時代には元服と同時に新たな名を授かるパターンが多く見受けられます。

父・家宣が鍋松の元服前に亡くなってしまったことで、鍋松に元服を行える人物がいなくなる事態に…。

そこで異例中の異例として、将軍よりも身分の高い朝廷に鍋松の元服を依頼。

このため徳川将軍家の中で家継は、朝廷に元服してもらったのは唯一の将軍となります。

余談として…

足利義勝

幼くして将軍になった家継ですが、朝廷からもらった未来ある名前とは裏腹に8歳というあまりにも若い年齢で早世してしまいます。。

ちなみに、全く関係ないですが、

室町幕府 七代将軍・足利義勝も9歳で将軍となり10歳で逝去しています。。

備考と参照

  • この記事は2018年までに分かっている史料等や諸記事を元に書かれております。
  • 今後見つかるかもしれない史料等によっては、全く違う内容になる可能性がある旨ご了承くださいませ。

家継の次の代・前の代の将軍は…

参考文献など

  • 『徳川将軍列伝』
    著・北島正元
    出・秋田書店
  • 『徳川将軍家十五代のカルテ』
    著・篠田達明
    出・新潮新書
  • 『徳川名君名臣言行録』
    著・岡谷繁実、安藤英男
    出・新人物往来社
  • 『将軍の私生活』
    著・三田村鳶魚
    出・グーテンベルク21
  • 『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』
    著・鈴木尚
    出・東京大学出版会
  • 『徳川将軍家墓碑総覧』
    著・秋元茂陽
    出・星雲社
  • 『将軍と側用人の政治 新書・江戸時代1』
    著・大石慎三郎
    出・講談社
  • 『折たく柴の記』
    著・新井白石、桑原武夫翻訳
    出・中公クラシックス
  • 『徳川実記抄録』
    出・国立公文書館

などなど他諸冊