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徳川家宣の性格、特徴、趣味、嗜好や女性関係などの雑学的プロフィール

徳川家宣

試験にはちょっと出づらいし、おそらく仕事には役に立たないし、知ってても特に何かが変わるわけではないけど、いつかどこかで何かに役立つかもしれない息抜き専用雑学、

江戸幕府 第六代将軍・徳川家宣いえのぶ編。

徳川家宣に関して分かってる性格、特徴、趣味、嗜好や女性関係にちょっとしたエピソードなどを雑学的プロフィールとして記載しております。

徳川家宣の雑学的プロフィール

年代や数字に関して

  • 年代や星座等は基本的に新暦換算で記載しております。
  • 年数や年齢は代による暦の違いや数え年の違いから、出典により±1〜3年の誤差がある場合もございます。

徳川家宣

人物

  • 生誕:1662年6月11日生
    旧暦:寛文2年4月25日
  • 星座:ふたご座
  • 身長:約160cm
    江戸時代の平均身長
    155〜160cm

家系

  • 氏族:甲府徳川家
  • 幼名:虎松
    → 綱豊
  • 父親:徳川綱重
  • 母親:長昌院

将軍期間

奥方

子ども

晩年

徳川家宣をざっとおさらい

徳川家宣

徳川家宣 肖像画

出典:徳川記念財団

  • 徳川家光の孫で徳川綱吉の甥
  • 正徳の治
  • 綱吉時代とは真逆の施政
  • 間部詮房を重用
  • 新井白石、室鳩巣など多くの学者を登用

などなど

家宣将軍期の主な出来事

  • 閑院宮家が創立
    1710(宝永7)年
  • 朝鮮使節待遇問題
    1711(正徳元)年

などなど

家宣将軍期の世界情勢

  • スペイン継承戦争の講和条約
    書状
    ユトレヒト条約
    が締結
    1713(正徳3)年

などなど

徳川家宣の性格、特徴、趣味、嗜好

文書

  • イケメンなナイスミドル
  • 温厚
  • 人に優しい
  • 真面目
  • 勉強熱心
  • 慈悲深い
  • 謙虚
  • 庶民からの好感度、人気度高い
  • 猫背
  • 能楽好き

などなど

徳川家宣の人物像

徳川家宣

将軍就任時は48歳と歴代の中でも最高齢での即位。

同郷の甲府人である新井白石間部詮房まなべあきふさらを重用し、庶民から不満の多かった先代・綱吉の政策を徹底的に排除した世直し政治(正徳の治)を推進していきました。

また、

  • 有能な人材を適所に配置
  • 各分野の知識人を登用
  • 基本的に広く意見を集め合議させる一致団結政治

等を行うなど、綱吉が割りと独断傾向にあったのに対し、家宣の場合はそれとは真逆に近い政治方針を展開。

綱吉からは

徳川綱吉
生類憐れみの令はいづれも遵守して断絶させないように

との遺言を受けるも、

徳川家宣
徳川家宣
民を思えば致し方なし

として、そのほとんどを将軍就任後すぐに撤廃しております。

また、家宣は歴史や文学など

新井白石
新井白石
非常に勉強熱心だった

そう。

加えて温厚な性格鼻筋通った端正なルックスだったことから

歴史家
歴史家
庶民からの人気度は抜群

だったとか。

非常に温厚で優しく真面目な性格も相まって期待度も高かった家宣ですが、将軍就任からわずか3年あまりで病に倒れてしまい、道半ばでの最期となりました…。

徳川家宣の女性関係・色恋事情

女性事情

至って真面目な御仁

正室1人に側室4人、子どもも6人に恵まれる家宣。

が、どちらかと言うと将軍としての世継ぎ遺しや、

歴史家
甲州の血縁を広めることを主とした目的で、最低限のことをした感が強い

と解釈されており、家宣自身の女性関係は決して派手ではなかったご様子。

徳川家宣の性格や人柄が垣間見れるエピソード

エピソード

非常に温厚で優しく真面目だったとされる家宣。

そんな家宣の性格や人柄が垣間見えるエピソードをいくつかご紹介。

勉強中の態度

書道

当時の教養とされていた

  • 『経書』
  • 『諸子百家』
  • 各歴史書

などの学問は全てマスターしていたとされる家宣。

学問は新井白石あらいはくせきを師として多くを学んでいたそう。

勉強中の態度も極めて真面目だったご様子で、

歴史書
将軍である家宣自身が弟子として下座に座る
夏はどんなに暑くても物事を習うときの正装を身に着け、扇も仰がない
歴史書
歴史書
冬は師である新井白石にだけ火鉢を与えて暖を取らせた

などなど、自らはあくまで一弟子として他弟子と変わらずに勉学に励んでいた模様。

後に新井白石は、家宣のことを

新井白石
これほどまでに学問を熱心に学ばれる君主は、日本にも中国にもいない

と大絶賛しています。

自分の信念を守れる

信念

徳川家宣の学問の先生だった新井白石は、第五代将軍・徳川綱吉時代に勘定奉行を務め、貨幣改鋳を行っていた荻原重秀おぎわらしげひでが大嫌いだったそう。

新井白石から幾度となく感情論的に荻原重秀の罷免を求められるも、家宣自身は荻原重秀のことを評価しており、

徳川家宣
徳川家宣
才あるものは徳あらず。

徳あるものは才あらず。

真材誠に得がたし。

意訳

何かの才能がある人は人徳がない場合が多いし、その逆も然り。

才能も人徳もある人物はなかなかいないもの。

と新井白石をなだめて、荻原重秀を病没寸前まで重用し続けました。

勉学の師からの進言であっても決してなびかず、自分の信念を強く持っていたご様子。

心優しく慈悲深い

救いの手

まだ将軍就任以前のことで、家宣が甲府藩主になったばかりの頃。

家宣の父・徳川綱重から甲府藩主を継ぐにあたり、何人かの家臣も一緒に家宣のお付き人となりました。

その中に家宣の養父であり育ての父でもあった新見正信しんみまさのぶもおり、家宣の新見正信に対する信頼も厚かったそう。

これをよく思わない古参の家臣が、後日幕府に対し

新見正信が自らの子を甲府藩主に取り立てた疑いがある

と偽って報告。

これが完全に事実無根と幕府側にバレ、偽りの報告をした家臣は切腹を命じられるも、

徳川家宣
ほんの一時とはいえ、自分のために仕えてくれた家臣を助けてやってもらいたい

と幕府に対して家宣自ら助命を嘆願。

そのおかげで減刑が許されることとなりました。

家臣として働いた期間は僅かであり、自らの嫉妬心から虚言を行ったにもかかわらず、ほんの一時でも自分のために働いてくれた家臣を憂う家宣の心優しく慈悲深い人間性があらわれたエピソード。

曲がったことが嫌い

江戸城

甲府藩主だった家宣の将軍就任が決まって江戸城に入城した際、

巻物
江戸城西の丸の絵図面

をお祝いに持ってきた者がいたそう。

城内の勝手を知らない家宣に対しての親切心か、恩を売っておこうとの下心あってか、いづれにしても

歴史家
江戸城内の構図や情報を人に漏らすのは、軍事機密漏洩

であり、決してやっていいことではありませんでした。

徳川家宣
それで私が喜ぶと思うのは間違いだし、浅はかだ。

これは賄賂と受け止める。

として、贈り物を撥ね付け贈ってきた者を役職から外したそう。

また、将軍就任後も不正に関しては一貫して厳しく取り締まっています。

クレーム処理に長けていた

言葉

将軍就任時、先代・綱吉が行っていた政策が庶民からは不評すぎて、町では幕府への不満が絶えず、狂歌などが多かったそう。

狂歌
皮肉ったりさげすんだ内容の替え歌や句

これを良しとしなかった家臣が

武士
厳しく取り締まるべきでは?

と家宣に進言。

これに対し家宣、

徳川家宣
そういう批判の中にこそ、重要なことがあるのだよ

と家臣をなだめております。

家宣の広く深い視野が垣間見れるエピソード。

世を想い、人を想う

徳川家宣

将軍就任から3年とちょっと、これから本格的に施政が始動するというタイミングでインフルエンザに倒れた家宣。

症状は日々重くなる一方で、いよいよ

家臣
家臣
殿の命の危険が…

となった時、家宣自身が真っ先に心配したのは将軍である自分が亡くなった後の世のことでした。

各重臣たちを集め、

徳川家宣
幼少の鍋松(後の第七大将軍・家継)をよく助けてやってほしい。

これは鍋松のために言っているのではない。

鍋松治世でも天下万民が平穏に暮らせることを第一に考えてのことだ。

との旨の遺書を書き遺しております。

加えて

徳川家宣
仮に鍋松に何かあった場合には、尾張より将軍を迎えるように

と、自分の身体のことより先の先の世の心配を。

その様子を側で見ていた重臣のひとり・新井白石に対して、

徳川家宣
こんな心配ばかりしていて、自分の病がもし治ったら後で皆から笑い者にされるな

と冗談交じりに一言。

それを聞いた新井白石は場所をはばからず、声や涙を出して泣きに泣いたそう…。

将軍になっても決して驕らず常に世のこと人のことを考え続けた家宣の、これが最後の政務となりました。

備考と参照

  • この記事は2018年までに分かっている史料等や諸記事を元に書かれております。
  • 今後見つかるかもしれない史料等によっては、全く違う内容になる可能性がある旨ご了承くださいませ。

徳川家宣の次の代・前の代の将軍

参考文献など

  • 『徳川将軍列伝』
    著・北島正元
    出・秋田書店
  • 『徳川将軍家十五代のカルテ』
    著・篠田達明
    出・新潮新書
  • 『徳川十五代史』
    著・内藤耻叟
    出・新人物往来社
  • 『徳川名君名臣言行録』
    著・岡谷繁実、安藤英男
    出・新人物往来社
  • 『将軍の私生活』
    著・三田村鳶魚
    出・グーテンベルク21
  • 『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』
    著・鈴木尚
    出・東京大学出版会
  • 『徳川将軍家墓碑総覧』
    著・秋元茂陽
    出・星雲社
  • 『折たく柴の記』
    著・新井白石、桑原武夫翻訳
    出・中公クラシックス
  • 『沢庵和尚書簡集』
    著・沢庵
    編・辻善之助
    出・岩波文庫
  • 『御当代記』
    著・戸田茂睡
    出・平凡社頭頂文庫
  • 『新井白石の研究』
    著・宮崎道生
    出・吉川弘文館

などなど他諸冊

徳川将軍家のご参考までに

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