試験には出ない 徳川家康の雑学的プロフィール

徳川家康

多分試験には出ないし、おそらく仕事にも役に立たないし、知ってても特に何かが変わるわけではないけど、いつかどこかで何かに役立つかもしれない息抜き専用雑学、

江戸幕府【初代将軍・徳川家康いえやす】編。

徳川家康に関して分かってる性格・特徴・趣味・嗜好や、女性関係にちょっとしたエピソードなどを雑学的視点のプロフィールとして記載しています。

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徳川家康の雑学的プロフィール

徳川家康
  • 年代や星座等は新暦換算で記述しています。
  • 年数や年齢は代による暦の違いや数え年の違いから、出典により±1〜3年の誤差があると思われます。
  • 身長は愛知県岡崎市(三河国)の大樹寺にある等身大とされる位牌と、増上寺の遺骨改葬時調査記録を参考にしています。

家康の簡易プロフィール

徳川家康をざっとおさらい

徳川家康肖像画/出典:川越大師 喜多院蔵徳川家康

  • 三英傑と称される戦国大名
    ※ 三英傑:織田信長、豊臣秀吉、徳川家康
  • 関が原の戦いで石田三成に勝利
  • 江戸幕府を開き初代征夷大将軍となる
  • 没後、朝廷より「東照大権現」の神号を賜る

などなど

家康将軍期の主な出来事

  • 糸割符制度の開始
  • ヤン=ヨーステンをはじめとした諸外国人の来日

などなど

家康将軍期の世界情勢

  • フランスが東インド会社を設立

などなど

家康の特徴・性格・趣味・嗜好

  • 我慢の男
  • 策士
  • 勉強熱心
  • 理論派
  • 感情を表に出さないタイプ
  • 武術(剣、砲、弓、馬など)の腕は一流
  • 健康志向というかむしろ健康オタク
  • 薬の調合が得意
  • 倹約家
  • 囲碁や将棋好き
  • 奥さんが20人以上で歴代将軍No.1
  • 身分の高くない未亡人が好み
  • けっこう子沢山
  • 強運で大成功を収めると言われる手相「ますかけ線」の持ち主

家康の人物像

「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」からも伺える家康の忍耐強い性格。

歴史書をはじめ勉強熱心で割りと理論派にして頑固な一面、自分の我を押し通すことは少なく、周りの意見もしっかり聞くまとめ役だったとか。

時代背景もあってか、幼少のころより人に裏切られてきた経験からか、発言には慎重で家臣からすれば

「何を考えているか読めない上司」

だったそう。また、

「人の振り見て我が振り直す」タイプで、人の行いや自らの失敗も含め、何かを吸収してそこから学び活かしていく洞察的眼力にも優れていた模様。

それは女性関係にも大いに活かされているとか。。

家康の女性関係 色恋事情

20人以上と圧倒的に多い側室数

女性事情

幕府をひらき将軍となったことで世継ぎ遺しはとても大事になってきますが、家康の場合、将軍就任時は61歳。

将軍就任までには既に側室も多く9男4女を儲けており、なかなかな女好きだったご様子。

容姿に特にこだわりはなかったそうで、性格的に気に入ったら即妻にするのが家康流。

女中さんやお手伝いさんはじめ未亡人も多く、中には人妻だったのを強引に別れさせて自分の側室にしたりと、結構な自由恋愛スタイルだった模様。

なかなかな絶倫ぶり

11男5女と計16人の子宝に恵まれた家康。

  • 10代で 2人
  • 20代で 1人
  • 30代で 4人
  • 40代で 1人
  • 50代で 5人
  • 60代で 3人

と、当時の平均寿命が45〜50歳と言われる中で、50代以降に8人もの子どもを儲ける絶倫ぶりを発揮。

当然?子は産まれなかったが、手を付けた女性は多く…

落胤が多い…

落胤らくいん:父親未認知の子、おとしご、または隠し子のこと

が多いとされる家康。

少なくても10人近くの落胤がいたとされ、中には後の将軍だったり有力大名や各藩の施政者だったりもすることから、血脈を遺す政治的策略?との見方と、それ以上に手クセが早かった?と見る向きに分かれます。

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その落胤とされる人物のほんの一例を。

家康の落胤説:三代将軍・家光

徳川家光

二代将軍・徳川秀忠と江(崇源院)との間に産まれた子とされている三代将軍・家光。

その家光が持っていたとされるお守り「日光山輪王寺所蔵の守り袋」等の史料をはじめ、信憑性は低いものの実は家康と春日局との間に産まれた子だったのでは…?と見る向きも。

家康の落胤説:豊臣秀頼

豊臣秀頼

豊臣秀吉と淀君(茶々)との間に産まれたとされる豊臣秀頼。

しかし、秀吉自体が老体であったことと実は種なし?説もあることから「実は秀吉には実子がいない」と見る向きも強く、「では秀頼の父親は誰なのか?」ということになります。

その父親候補の1人として家康の名前もしっかり登場するご活躍ぶり。

家康の落胤説:土井利勝

土井利勝

二代将軍・秀忠、三代将軍・家光の時に側近として絶大な権勢を発揮した土井利勝も家康の落胤だったのでは?と、徳川家公式の記録『徳川実紀』にまで記載が。。

家康の人柄が垣間見れるエピソード

エピソード

石合戦を見て

出典:東照宮縁起巻石合戦

家康がまだ10歳くらいのころ、同年代の子どもたちが河原で石合戦(二組に分かれて石を投げぶつけ合う当時の遊びの一種)をしている場面に遭遇。

一組は少数でもう一組は倍以上の人数がいるのを見て、

家康
「これは人数の少ない方が勝つでしょう」

それを聞いた家臣は笑って取り合わなかったが、結果は家康の予想通り少数が勝利。

驚いた家臣が
「なぜ分かったのですか?」

と家康に聞くと、その答えは

「人数が多い方は優勢だとみて油断して、人数の少ない方は逆に必死になりお互いの力を合わせられるから」

と。

当時から優れた洞察力があったのと、団結する大事さを認識していた模様。

医師、薬剤師向きな理系

薬の調合

健康には特に気を遣っていたとされる家康は、医療に関する勉強にも熱心で薬にも詳しく、本草ほんぞう(今で言う漢方薬に近いもの)には特に興味を持ち、自分でも調合をしていたほど。

内臓系に良いとされていた薬を飲んでいたり、精力剤も服用していたりで、これが長生きの秘訣だとか。

そんな医療系に関する2つの逸話。

自分で処方も出来る

圧倒的な医学の知識を持っていたとされ、家康自身が病にかかってしまった際には医師の処方よりも自分の見立てを信じ、自己治療で正確に治してしまうほどだったとか。

関ヶ原の戦いにて

合戦中にケガをした兵士に対して傷口を石鹸で洗ってケアさせた、との記録が。

これは感染症を防ぐ大きな効果があり、医学的な知見が高かったことが伺えます。

とても倹約家

ご飯

衣服は滅多に新調せず同じものを着回していたり、家も広くなく豪華なものを嫌っていたとされる家康。

そんな倹約家な逸話も2つほど。

天下取りの心得

紙

お手洗いから出て手を拭くため紙を出そうとしたら、その紙が風で飛ばされ庭まで出てしまう。

家康はその紙を追って庭まで取りに行った。

その様子を見ていた家来が思わず笑ってしまったことに対して、

家康
「わしはこれで天下を取ったのだ」

と。

たかが紙だとか新しい別のものを使えばいい、とはせず、どんなものでも自分が持っているものは大事に扱うという家康の心得が垣間見られるエピソード。

しょっぱい漬物

漬物

ある時侍女たちから「料理の漬物がしょっぱい」と苦情を受け、給仕に家康が問いただしたところ、

給仕
「今でも侍女たちはたくさんおかわりしているのに、おいしい漬物を出したら何杯おかわりするかわからない」

と答えられ、その答えに笑って

家康
「以後も変わらず同じ漬物を出すように」

と言ったそう。

人を思う気持ち

お膳

家康がまだ三河国にいたときのこと。

健康管理と夏場は食料が少なくなることもあって食事は麦飯だった。

それを気にかけた家臣がある時、膳に白米を出した。

それを受けて、

家康
「戦国の時代において百姓にばかり苦労させて、自分だけが白米を食べ満足するわけにはいかない」

と断ったという。

備考

  • この記事は2015年までに分かっている史料等や諸記事を元に書かれています。
  • 今後見つかるかもしれない史料等によっては、全く違う内容になる可能性がある旨ご了承ください。
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