江戸幕府第10代将軍 徳川家治に関して分かっている
を中心に記載しております。
知っていても特に何かが変わるわけではない…けど、いつかどこかで何かに役立つかもしれない息抜き専用雑学としてご認識いただければ幸いです。
記事の中身をざっと見
徳川家治の性格や特徴
幼き頃より天才
祖父・徳川吉宗から寵愛を受ける
帝王学を始めとした英才教育も吉宗から直々に受ける
おじいちゃん(吉宗)子
将棋好きでめっぽう強い
囲碁も好き
絵も上手い
愛妻家
温厚
心優しい御仁
ビタミン不足?からくる無気力感
中期以降
など
徳川家治の人物像を深掘り
幼き頃より聡明で祖父・徳川吉宗の寵愛を一身に受けた徳川家治。
帝王学をはじめとして政治等の勉強ごとも熱心で理解も早く、
- 剣
- 槍
- 銃
などの武術はトップクラス。
加えて
- 能
- 絵画
などの芸術面も素晴らしい才能の持ち主で、正に天才。
おじいちゃん(吉宗)子で、吉宗の死後は政に無関心になっていき、
ご様子。
施政は田沼意次・意知親子が田沼時代と表現されるほどの権勢を握り、それまでのお米などによる年貢の直接税から
など画期的な税改革を行うなど目まぐるしい成果を挙げていく時期となります。
それ故将軍としての徳川家治は
傾向にあります。
が、趣味に関してはずば抜けた才があり、将棋は今で言うアマチュア高段者級の強さだったり、絵画もめっぽう上手だったそう。
さらに加えて強烈な愛妻家。
徳川家治が病に伏していた晩年に、田沼意次推薦の医師が処方した薬を飲んだ直後に危篤になったことから、
との陰謀説が強く残っており、別の見解では
とされるなど、
- 将軍職がお飾り的存在になりつつあった
- 将軍までもが毒殺対象者となっていた
傾向が顕著に見られ始めるのも徳川家治将軍期からとなりました。
徳川家治の女性関係 色恋事情
愛妻家将軍
当時のご時世、正室はあくまで政略的な婚姻であることが多く
とされる中、徳川家治は正室との間に2人の子を儲ける寵愛ぶり。
さらには側室を持つこと自体を拒み、正室・倫子女王をとても大事にしたご様子。
そんな徳川家治の愛妻家エピソードを3つほど。
側室を持つ条件
正室・倫子女王との間に2女を儲けますが、不幸なことに2人とも早世してしまいます。
早世
幼児期や10歳未満で亡くなってしまうこと
世継ぎができないことを危惧した重臣の田沼意次は、なんとか跡取りを遺してもらおうと側室話をしきりに持ちかけるも、徳川家治は頑なにこれを拒否。
しかし他大勢の家臣やお局等になだめられ、渋々2人だけ側室をとることに納得します。
その代わり引き換えに出した条件が
とのこと。
正室・倫子がいながら
として残されております。
子の養育
幸い2人の側室それぞれに男の子が一人ずつ生まれるも、
とされております。
それぞれの側室とも子が生まれた後は縁切り状態になっており、側室からすれば
に等しい扱いを受けるものの、徳川家治の愛妻家ぶりに身を引かざるを得なかったそう…。
大奥大整理再び
第8代将軍・徳川吉宗期の倹約のひとつとして行われた大奥の人員削減大整理。
祖父・吉宗を慕ってか、世継ぎ問題から解放されたこともあってか、徳川家治もさらなる大奥の人員削減に乗り出すことに。
その規模は
とされております。
徳川家治がここまで徹底的に大奥の人員削減を断行したのは、
との見方もあります。
徳川家治の性格や人柄が垣間見れるエピソード
祖父・徳川吉宗が大好き
幼少期より聡明だったとされる徳川家治を誰よりもかわいがったのが第8代将軍であり祖父でもあった徳川吉宗。
家治自身も祖父・吉宗が大好きで
- 勉学
- 帝王学
- 将棋
- 絵画
- 鷹狩
- 勉学
- 芸事
などなど徳川吉宗が嗜んだとされるものは率先して吸収していったそう。
また、祖父・吉宗にあやかろうと絶えず意識していたそうで
- 衣服
- 生活スタイル
- 食生活
など吉宗流の質素倹約に努めていたご様子。
お膳に普段と違った食材が出されると、
と確認するほどの徹底ぶりだったとか。
祖父・徳川吉宗、大いに喜ぶ
徳川家治がまだ幼名の竹千代を名乗っていた時のこと。
書の手ほどきを受けていた時に
の字を書こうとしたら、途中までをあまりにも紙いっぱいに書いてしまったため紙からはみ出しそうになってしまいました。
ところが家治は全く意に介さず紙の外の畳にまではみ出して「大」の字を書いたそう。
これを知った吉宗は、
と徳川家公式記録『徳川実紀』に記されております。
将棋の腕前
芸事にも明るかったとされる徳川家治。
中でも将棋に対する熱意は相当なもので、祖父・吉宗、息子・家基が相次いで亡くなった後はますます将棋に没頭していくこととなりました。
腕前も相当強かったとされ、実際に家治が打ったとされる棋譜を検めた関西将棋会館は、公式アナウンスとして
との評価を。
また、詰将棋を生み出す才は特に抜きに出ており、自ら図式集
を著すほどでした。
徳川家治の詰将棋に関する知見は、現代の専門家からみても
と絶賛。
…ながら、家治自身の対局マナーはあまり褒められたものではなかったそう。。
将軍としての気概
将棋などの趣味ばかりに熱心で政治的職務は田沼親子に任せっきりだったことから、将軍としては割と無能扱いを受ける徳川家治…。
ただ、将軍職に就任してからしばらくの間はしっかりと責任や自覚は感じいたご様子で、ある時家治がお風呂に入っていた時のエピソード。
近くにいた世話係に対して、
といきなり質問を。
との返答に対して家治、
わしの隣はあまり仲良くしてくれないので、これからの行末が思いやられる…。
と漏らしたそう。
将軍様のお隣という言葉にピンと来なかった世話役は
と質問を投げかけたそう。
すると徳川家治は、
- 唐土
- 中国
- 朝鮮
- 天竺
- インド
- オランダ
とかだ。
他にもいかなる隣家があるか顔も名前も知らないところが多い。
となかなかにスケールの大きい返答が。
幼き頃より学問に精通しており帝王学も極めていたためか、日本国内のみならず海外にまで視野を広げて先の世を見据えていたことが伺えます。
慈悲深き御仁
愛妻家だったことも然ることながら、温厚で慈悲深く心優しい性格だったとされる徳川家治。
そんな家治の人に対する思いやりや気遣いが伺えるエピソードを最後に2つほど。
明け方のトイレ
朝6時起床とされていた将軍職で、その時間に合わせて小姓たちが朝食の用意や身の回りの世話をすることになっていた当時、歳を重ねた徳川家治はだんだんと朝6時よりもずっと前に目を覚ますことが多くなったそう。
しかし、音を立てて小姓たちを起こしてしまわないよう6時になるのを床の中でひたすら待っていたとか。
仮にトイレに行く場合でも周りの者まで起こさないよう抜き足差し足で廊下を歩いたそうで、
ことが伺えるエピソードとして残っております。
家臣がため息をつく理由
ある激しい雨の日のこと、家臣が物憂げに空を見上げため息をつく姿をたまたま目にした徳川家治。
別の家臣にため息の訳を聞いたところ、
との答えが。
それを聞いた家治は密かにため息をついていた家臣を呼び、
と金100両を渡したそう。
* 金100両
現代換算約700万〜900万円
ため息は慢心と咎めてもおかしくないところを、人情を大切にする徳川家治の人柄が伺えるエピソード。
徳川家治の雑学的プロフィール
人物
- 生誕
- 1737年6月20日
- 旧暦:元文2年5月22日
- 星座
- ふたご座
- 身長
- 153〜158cm
江戸時代の平均身長
155〜160cm
家系
- 血筋
- 氏族:徳川将軍家
- 血筋:紀州徳川家
- 幼名
- 竹千代
- 父親
- 徳川家重
- の長男
- 母親
- 至心院
将軍期間
- 就任時齢
- 24歳
- 在任期間
- 1760年〜1786年
- 宝暦10年5月13日〜
天明6年9月8日 - 在任年数
- 約26年4ヶ月
- 歴代順位
- 6位
- 徳川将軍家 在任期間ランキング
奥方
- 奥方数
- 3人
- 正室:1人
- 側室:2人
- 歴代奥方数
- 12位
- 徳川将軍家 奥方数ランキング
子ども
- 子宝数
- 4人
- 男子:2人
- 女子:2人
- 歴代子宝数
- 9位
- 徳川将軍家 子宝数ランキング
晩年
- 享年
- 49歳
- 死因
- かっけによる心不全
- 歴代長寿ランク
- 10位
- 徳川将軍家 長寿ランキング
江戸時代の平均寿命
45〜50歳
徳川家治将軍期の主な世情
徳川家治将軍期の主な施策
田沼意次、意知親子による田沼時代
株仲間、貿易推奨などによる商業資本経済
印旛沼、手賀沼の開拓
蝦夷地開発
など
国内の主な出来事
貨幣通貨による関節税の概念が誕生
賄賂の横行
上田秋成が雨月物語を発表1768(明和5)年
前野良沢と杉田玄白が解体新書を出版1774(安永3)年
平賀源内がエレキテルを発明1776(安永5)年
浅間山大噴火1783(天明3)年
天明の大飢饉1783(天明3)年
など
徳川家治将軍期の世界情勢
イギリスで産業革命がはじまる1760年頃〜
ルソー著社会契約論が出版1762(宝暦12)年
アメリカで独立戦争が始まる1775(安永4)年
アダム・スミス著国富論が刊行1776(安永5)年
など
徳川家治の次代将軍、先代将軍
当記事の参照や備考
一部個別に記載
掲載内容に関して
年代や星座等は基本的に新暦換算で記載しております。
年数や年齢は代による暦の違いや数え年の違いから、出典により±1〜3年の誤差がある場合もございます。
掲載画像はあくまで参考イメージとしてご覧くださいませ。
当記事は2022年末までに分かっている史料等や諸記事を元に記載しております。
今後見つかるかもしれない史料等によっては、全く違う内容になる可能性がある旨ご了承くださいませ。
参考文献など
※ 以下順不同敬称略
- 『徳川将軍列伝』著:北島正元版:秋田書店,1989/12/1
- 『徳川将軍家十五代のカルテ』著:篠田達明版:新潮新書,2005/5/16
- 『徳川十五代史』著:内藤耻叟版:新人物往来社,1985/11/1
- 『徳川名君名臣言行録』著:岡谷繁実、安藤英男版:新人物往来社,1981/1/1
- 『将軍の私生活』著:三田村鳶魚版:グーテンベルク21,2016/1/15
- 『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』著:鈴木尚版:東京大学出版会,1985/12/1
- 『徳川将軍家墓碑総覧』著:秋元茂陽版:星雲社,2008/1/10
- 『日本将棋大系』著:二上達也版:筑摩書房,1978/11/1
- 『将軍と側用人の政治』著:大石慎三郎版:講談社現代新書,1995/6/1
など他諸冊
徳川将軍家のご参考までに
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