試験には出ない 徳川家光の雑学的プロフィール

徳川家光

多分試験には出ないし、おそらく仕事にも役に立たないし、知ってても特に何か変わるわけではないけど、いつかどこかで何かに役立つかもしれない息抜き専用雑学、

江戸幕府【三代将軍・徳川家光いえみつ】編。

徳川家光に関して分かってる性格・特徴・趣味・嗜好や、女性関係にちょっとしたエピソードなどを雑学的視点のプロフィールとして記載しています。

スポンサーリンク

徳川家光の雑学的プロフィール

徳川家光
  • 年代や星座等は新暦換算で記述しています。
  • 年数や年齢は代による暦の違いや数え年の違いから、出典により±1〜3年の誤差があると思われます。
  • 身長は愛知県岡崎市(三河国)の大樹寺にある等身大とされる位牌と、増上寺の遺骨改葬時調査記録を参考にしています。

家光の簡易プロフィール

徳川家光をざっとおさらい

  • 参勤交代制度導入
  • 鎖国制度の樹立
  • 幕藩体制の確率
  • 老中・若年寄・奉行・大目付などの役職整備
  • 武断政治を推進

などなど

家光将軍期の主な出来事

  • 島原の乱
  • 農民統治を目的とした「慶安の御触書」
  • 寛永の大飢饉

などなど

家光将軍期の世界情勢

  • インドで「タージ・マハール」の建設が始まる
  • イギリスでピューリタン(清教徒)革命が起こる

などなど

家光の特徴・性格・趣味・嗜好

  • 「生まれながら将軍」発言
  • 幼い頃は割りと病弱
  • 色白
  • 結構やんちゃ
  • 戦話が大好き
  • 強気な性格
  • おじいちゃん(家康)大好き
  • 外出、夜遊び好き
  • 男好きで女装好き
  • 結構派手なものが好き
  • 大奥が出来る
  • 政治には割りと無関心(早年)
  • 冷徹、策士的な一面も(後年)

家光の人物像

出典:徳川家光肖像/徳川記念財団蔵別画・徳川家光

幼少〜30代くらいまで

幼少の頃より色白で病弱体質ながら、結構やんちゃな一面もあり、お城を抜けだしては街に遊びに行ってたそうで割りと活発。

30代の頃までは男色一辺倒で女装癖も持ち合わせてたとされる一方、柳生宗矩むねのりに剣術を師事してもらい柳生新陰流の免許まで得ている。

40代手前で女性に目覚め一気に覚醒する。

政治に関して

老中・若年寄・奉行・大目付などの役職を設立し幕府内の役職整備や、参勤交代制度の導入をはじめ幕藩体制を敷き、国力を高めることを進めた鎖国制度の樹立など、日本史では割りと登場機会の多い家光。

ただ、上記は二代将軍・秀忠の頃より仕えていた重臣たちが奨めた制度改革とされ、家光自身、将軍期の始めの頃は政治にほとんど無関心だった、と見る向きも。

乳母である春日局の言うことは結構何でも聞いていた感があり、特に晩年は春日局の意向あってかまつりごとにも身を入れて取り組むようになったご様子。

家光が尊敬する人

徳川家康

おじいちゃん(家康)大好きで、常時持ち歩いていたお守りの中には、

「大権現様(家康)にあやかりたい」

との言葉をしたためるなど正に神格化しており、天海主導の元で日光東照宮を改築させ、ほぼ今の豪華な形に完成させたのも家光の時代。

伊達政宗

戦の実体験話が好きで、特に伊達政宗は「親父殿」と呼ぶほど慕っていたとか。

大名としては異例の厚遇をしている。

家光を語る言葉

将軍像

家康は全て自分で決めた。

秀忠はそれには及ばなかったが半分は自分で決めた。

家光は全て重臣任せであった。

by 小説家・海音寺潮五郎

金銭感覚

家康で倹約し、

秀忠で貯め、

家光で一気に散財した。

スポンサーリンク

家光の女性関係 色恋事情

女性事情

若い時はとにかく男色

江戸時代は仏教の教えもあり男色は珍しくもなかったが、どちらかと言うと年長者が若い美男子をかわいがる傾向だったものの、家光の場合は13,4歳の頃から男色に目覚めていたとか。

歌舞伎にはまり自分でも化粧をしていたとされ、男らしい男を好んだ模様。

家光の男色恋愛傾向

古山師重画 男色秘戯画帖家光 男色

徹底的に尽くすタイプ

気に入った相手が見つかると、

  • 年齢等関係なく領地をあてがったり、
  • こっそりお城を抜け出して自ら相手の家まで出かけり、
  • 家臣たちの前でも相手に対して明らかに態度が違ったり、

と徹底的に熱を上げるのが家光流。

色恋多き御仁

家光が男色の素質を開花させ、関係を持ったとされる相手は20人をくだらないとか。

嫉妬深い
  • 相手に実は女がいると分かると位を格下げ
  • 自分と付き合ってる最中に相手が奥さんとの間に子ども儲けたことを知ると領地没収
  • 相手が他の男と二股かけようものなら打首

と、とにかく嫉妬深く家光の周辺で不審な死をとげるものも多かったとか。

お万の方との出会いが転機

楊洲周延画「千代田の大奥」大奥のイメージ画

30代なかばを過ぎても男色一辺倒で、子どもがいなかったことを案じたのが乳母(実母の可能性も)である春日局。

全国から美女と呼ばれる女性を片っ端から集めて、どうにか家光にその気になってもらおうとするも、家光の好みとは違ったのか、なかなか成果は出ず。

そんな中、家光が気を留めたのが「お万の方(後の永光院)」

ボーシッシュで美少年系な出で立ちがよかったか、ここから家光は一気に女性に目覚め始めた模様。

残念ながらお万の方との間に子は産まれずも、初子が38歳と当時では異例とも言える遅さながら、以後それぞれ別の側室に四代・家綱、五代・綱吉と続く子が産まれたことから、男色を改心させたお万の方を評価する歴史家は多数。

大奥誕生

春日局が家光に跡取りができないことを案じ、いつでも将軍のとぎが出来るよう女性を集めて囲っていたシステムが、後の大奥のはじまりとされています。

家光の人柄が垣間見れるエピソード

エピソード

異例の将軍宣下

家光が征夷大将軍に就任した後に、諸国の大名を江戸城に呼び寄せて言ったとされる言葉。

貴殿らは祖父(家康)や父(秀忠)と親交があり、ひいきにされる者もいたかもしれぬが、貴殿らと余は親しくもないし貴殿らのおかげで将軍になれたわけではない。

余は生まれながらの将軍である。

よって貴殿らがこれまで祖父や父とどのような関係であったかは関係ない。

今後余の一家来として働いてもらう。

これに不服があれば今すぐ国許へ帰り弓矢を取るがよい。

我が徳川800万石で余自らお相手致す。
(意訳)

と異例の宣戦布告。

20歳と若く血気盛んな怖いもの知らず振りが伺える言葉。

お吸い物の中の砂

お吸い物エピソード

ある時家光が鷹狩りをしていたとき、その日は強風吹き荒れ成果なく家光は不機嫌だった。

鷹狩りを終え近くの寺で食事をしたところ、出されたお吸い物の中に砂が入っていた。

家光
「台所頭(料理長)に腹を切らせよ」

と、すぐに家臣に命じた。

切腹を言い渡された台所頭は、

「決して御膳に砂が入っていたわけではございませぬ。

今日のような風の強い日に上様が御口をすすがずに召されましたから、砂をかまれたと思われます。

口をすすがれ、それでも砂をかまれましたのならば、首をはねられるなり腹を切るなり仰せに従います」

と。

結果は台所頭の言うとおりで、家光はこの申し開きを賞賛し陳謝を込めて褒美を与えている。

やはり強気な姿勢ながら、意見を聞く耳はしっかりと持っていたとされます。

Check! 息子である四代将軍・家綱との性格の対比も面白いエピソード 家綱の場合は…

試験には出ない 徳川家綱の雑学的プロフィール

2016.09.17

備考

  • この記事は2015年までに分かっている史料等や諸記事を元に書かれています。
  • 今後見つかるかもしれない史料等によっては、全く違う内容になる可能性がある旨ご了承ください。
スポンサーリンク