試験には出ない 徳川家綱の雑学的プロフィール

徳川家綱

多分試験には出ないし、おそらく仕事にも役に立たないし、知ってても特に何か変わるわけではないけど、いつかどこかで何かに役立つかもしれない息抜き専用雑学、

江戸幕府【四代将軍・徳川家綱いえつな】編。

徳川家綱に関して分かってる性格・特徴・趣味・嗜好や、女性関係にちょっとしたエピソードなどを雑学的視点のプロフィールとして記載しています。

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徳川家綱の雑学的プロフィール

徳川家綱
  • 年代や星座等は新暦換算で記述しています。
  • 年数や年齢は代による暦の違いや数え年の違いから、出典により±1〜3年の誤差があると思われます。
  • 身長は愛知県岡崎市(三河国)の大樹寺にある等身大とされる位牌と、増上寺の遺骨改葬時調査記録を参考にしています。

家綱の簡易プロフィール

  • 人物
    • 1641年9月7日生
      旧暦:寛永18年8月3日
    • 星座:おとめ座
    • 身長:約158cm
      :江戸時代の平均身長は155cm〜160cm
  • 家系
    • 血筋:徳川将軍家
    • 幼名:竹千代
    • 父親:徳川家光(の長男)
    • 母親:お楽の方(宝樹院)
  • 将軍期間
  • 奥方
  • 子ども
    • 子宝数:0人
  • 晩年

徳川家綱をざっとおさらい

  • 各制度、法律、教化等を強め秩序の安定と維持を図った文治政治を行う
  • 伯父さんである保科正之や酒井忠清らが主に政治を執り行う
  • 寛文の二大美事(殉死の禁止、大名証人制の廃止)

などなど

家綱将軍期の主な出来事

  • 由井正雪の乱(慶安の変)
    ※ 家光の崩御と家綱が将軍に就任する間の出来事
  • 明暦の大火
  • 河村瑞賢による西、東の航路開拓

などなど

家綱将軍期の世界情勢

  • イギリス、グリニッジ天文台が完成
  • フランス、ベルサイユ宮殿が完成

などなど

家綱の特徴・性格・趣味・嗜好

  • 「然様(さよう)せい」様
  • 内向的
  • 温厚
  • 脳に患いがあり身体が丈夫ではなかった?
  • 家臣に恵まれる
  • 絵画、釣りが趣味
  • 人情味ある優しさを持つ

家綱の人物像

出典:徳川家綱肖像画/狩野安信画 徳川記念財団蔵別画・徳川家綱

先代の父・家光の急逝もあり、征夷大将軍を継いだのはわずか11歳の時。

若くして脳の病気を患っていたことと、将軍がまだ年少者であることから、まつりごと関係は伯父さんである保科正之を始めとした重臣たちが執り行い、

家綱自身は「さようせい(然様せい・左様せい)」が決まり文句の「然様せい様」とあだ名されていたとか。

重臣に恵まれたのもあり、家綱自身は割りと絵画や釣りなど趣味三昧の生活だったご様子。

将軍としては評価の低い家綱だが、家臣のミスを庇ったり、明暦の大火の復興に率先して取り組んだりと、人情味溢れる一面も垣間見せる。

家綱の女性関係 色恋事情

女性事情

子もなく史料も乏しい謎多き御仁

正室に加え側室が2人いたことは分かっているものの、将軍として世継ぎを遺す目的だったと見る向きも強く、家綱自身の嗜好等が分かる史料は乏しいため謎多き御仁。

脳の疾患が影響してか40歳手前で家綱自身も急逝してしまい子もいなかったため、弟である綱吉が形式上養子となる。

家綱の人柄が垣間見れるエピソード

エピソード

遠望鏡

遠望鏡

将軍就任から間もない幼少期のころ、江戸城の天守閣へ登った際に家臣から

「これを使えば城下町がよく見えますよ」

と遠望鏡を進められる。

それに対し家綱
「もし将軍が天守(のような高いところ)から遠眼鏡で四方を見下ろしていると知れたら、恐らく世人(=庶民)は嫌な思いをするに違いない」

と言い、以降も城下町を見るための遠眼鏡の使い方はしなかったという。

お吸い物の中の髪

お吸い物エピソード

家綱が食事中にお吸い物を飲もうとしたところ、お椀に髪の毛が入っていることに気づく。

家綱は黙ってその髪の毛を箸で摘み取り除いたが、見ていた配膳係が慌てて新しい物と交換しようとした際、

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家綱
「その汁は途中で捨て、椀を空にして下げるように」

とのこと。

これはお椀を空にすることで普段おかわりする時と同じ様に見せ、誰の髪の毛だとしても誰も咎められる者が出ないようにした家綱の配慮だったという。

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試験には出ない 徳川家光の雑学的プロフィール

2016.09.15

明暦の大火(振袖火事)を経て

明暦3年1月18日(新暦:1657年3月2日)、江戸城下のみならず江戸城天守閣まで焼け落ち、死者10万人以上とも言われる大火災「明暦の大火(振袖火事)」が発生した。

振袖火事/戸火事図巻 田代幸春画明暦の大火

その火事からの復旧に率先して動いたのが家綱。

水路が多く街と街とを繋ぐ橋が少なかったため、ある1部に孤立し逃げ遅れてしまったのが大勢の死者が出た原因の1つと考え、この教訓から作らせた1つが「両国橋

LINK 明暦の大火のちょっと詳しい内容

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2017.01.12

ちなみに、相撲が両国で栄えたのは…

土俵

家綱が造らせた両国橋。

火事等から町人が逃げられることを目的としているため、最初は「大橋」と呼ばれるほど当時にしては大きいもので、万が一の際に大勢が移動しやすいよう橋の近くに家をつくるのは禁止されていました。

ただ、すぐに取り壊せるものはOKとし、そこから家の基礎にあたる土俵が多く造られたことが両国近辺で相撲が栄えた一因だとか。

なので、当時の土俵は四角で四本の柱に屋根付きだったものが多かったと言われています。

備考

  • この記事は2015年までに分かっている史料等や諸記事を元に書かれています。
  • 今後見つかるかもしれない史料等によっては、全く違う内容になる可能性がある旨ご了承ください。
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