試験には出ない 徳川家茂の雑学的プロフィール

徳川家茂

多分試験には出ないし、おそらく仕事にも役に立たないし、知ってても特に何か変わるわけではないけど、いつかどこかで何かに役立つかもしれない息抜き専用雑学、

江戸幕府【十四代将軍・徳川家茂いえもち】編。

徳川家茂に関して分かってる性格・特徴・趣味・嗜好や、女性関係にちょっとしたエピソードなどを雑学的視点のプロフィールとして記載しています。

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徳川家茂の雑学的プロフィール

徳川家茂
  • 年代や星座等は新暦換算で記述しています。
  • 年数や年齢は代による暦の違いや数え年の違いから、出典により±1〜3年の誤差があると思われます。
  • 身長は愛知県岡崎市(三河国)の大樹寺にある等身大とされる位牌と、増上寺の遺骨改葬時調査記録を参考にしています。

家茂の簡易プロフィール

  • 人物
    • 1846年7月17日生
      旧暦:弘化3年閏5月24日
    • 星座:かに座
    • 身長:151〜156cm
      :江戸時代の平均身長は155cm〜160cm
  • 家系
    • 氏族:紀州将軍家
    • 幼名:菊千代
      → 慶福よしとみ → 家茂
    • 父親:徳川斉順
    • 母親:実成院
  • 将軍期間
  • 奥方
  • 子ども
    • 子宝数:0人
  • 晩年

徳川家茂をざっとおさらい

  • 将軍継嗣問題
  • 公武合体
  • 文久の改革
  • 長州征伐

などなど

家茂将軍期の主な出来事

  • 桜田門外の変
  • 安政の大獄
  • 薩英戦争
  • 新撰組による池田屋事件
  • 蛤御門の変
  • 薩長同盟

などなど

家茂将軍期の世界情勢

  • ダーウィン著『種の起源』が完成
  • アメリカ南北戦争が勃発
  • リンカーン大統領による黒人奴隷解放宣言
  • メンデルが「遺伝の法則」を発見

などなど

家茂の特徴・性格・趣味・嗜好

  • 頭が良い
  • 見た目も良い
  • 優しくて気が利くし機転も利く
  • 努力家
  • 責任感強い
  • 思慮深い
  • 家臣や有力者からの人望が厚い
  • 病弱だった
  • 大の甘党
  • 虫歯が多い
  • 政略結婚ながら愛妻家で一途
  • 辞意を朝廷に上申した唯一の将軍

家茂の人物像

徳川家茂像:川村清雄画/江戸東京博物館蔵徳川家茂

幕末動乱の混迷期にあって、本人の意思とは裏腹に幕臣の権力争いの末、13歳で将軍職に担ぎあげられた家茂。

自分の趣味や好きなことを諦め、将軍職を全うしようと勉強に執政にと励んでいたご様子。

聡明な風貌や出で立ちに加え、頭脳明晰な上に思慮深い性格から、家臣や有力者からの人望がとても厚かった

特に勝海舟とはお互いに信頼関係があり、家茂が亡くなった際には

勝海舟
「徳川家、今日滅ぶ」

とまで言わしめた。

大の甘党で、ようかん、氷砂糖、金平糖、カステラ、おしるこなどを好むも、それが原因からか虫歯だらけだったそう。

若年ながら懸命に激動の時代に立ち向かおうとする家茂を「時代が違っていれば高い英名を遺しただろう」と見る歴史学者は多い。

家茂の女性関係 色恋事情

女性事情

側室をとらなかった唯一の愛妻家将軍

成人した将軍の中で、唯一側室を持たなかった将軍。
(※ 秀忠は除く)

政策の1つである「公武合体」から公家出身の和宮親子内親王(静寛院宮)との政略結婚も、和宮を一途に大切にしていた家茂。

出かけた際には贈り物をしたり、体調を気遣うなどの手紙を送ったり、細やかな気配りで和宮を気遣うなど、2人の関係はとても良好だったとされ、おしどり夫婦だったご様子。

歴代徳川将軍の中でも、正室と最も夫婦仲が良かったとみる歴史家が多数。

嫁姑問題も円満に

家茂の養母にあたる天璋院(篤姫)と家茂の妻・和宮の間には

  • 和宮から「ご挨拶」代わりに天璋院に送られた包みが呼び捨て書きだった
  • 公家出身で公家のしきたりを重んじようとする和宮を天璋院が拒んだ
  • 2人の座り位置(上座、下座など)

等々、少なからず悶着があったとされるも、家茂が江戸城内にいるときは、どちらを責めるわけでも取り立てるでもなく、話合うことによって2人の間を取り持っていたとか。

家茂の人柄が垣間見れるエピソード

エピソード

先生が泣いた理由

家茂のエピソード1

書の達人として知られていた戸川安清は70歳を過ぎた老齢ながら、推されて家茂の習字の先生を務めていた。

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ある時家茂に書を教えていた最中、家茂が突然立ち上がり、墨をるための水を笑いながらいきなり安清の頭の上からかけ、

「疲れた、あとは明日にしよう」

と言ってその場を出て行ってしまった。

いつもの家茂らしくない悪ふざけだ、と同席中の家臣たちが驚いて水をかけられた安清に近寄ると、安清は泣いていた。

実は安清、老齢のため、ふとした弾みで失禁してしまっていたことを家臣たちに打ち明ける。

将軍の御前での粗相は厳罰を免れないので、それを察した家茂は自分の悪ふざけのごとくわざと水をかけて失禁で濡れた衣を隠し

「あとは明日にしよう」
と言うことで

明日も出仕するように

と、暗に不問に処することを伝えていた

安清が泣いたのは、その優しさと細やかな配慮に感激したためだった。

ナポレオン3世、喜ぶ

ナポレオン三世 肖像画ナポレオン三世

当時フランスで生糸の元となる蚕が大量に亡くなったのを聞いた家茂。

蚕がいなくてはフランス国王も庶民も困るから、と日本の蚕を集めて送らせた。

その行動と心遣いにナポレオン3世は大変喜び、日本から送られた蚕をファーブルたち専門家に管理を任せ大事に守らせた。

このこともあり、フランスの徳川幕府への肩入れは後年も続いていくこととなりました。

家茂が流した涙

家茂が流した涙

黒船来航後から続いていた徳川家失墜や尊皇攘夷の動き、各藩勢力の拡大と動乱な江戸混迷期の中にあっても、その流れに必死に立ち向かおうとしていた家茂。

しかし、年齢の若さ故か将軍である自分を差し置いて勝手に事を進めていく家臣をみて、涙を流し悔しがったという。

備考

  • この記事は2015年までに分かっている史料等や諸記事を元に書かれています。
  • 今後見つかるかもしれない史料等によっては、全く違う内容になる可能性がある旨ご了承ください。
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