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徳川家光の性格、色恋、人柄エピソード選などの雑学的プロフィール

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徳川家光

江戸幕府第3代将軍 徳川とくがわ家光いえみつに関して分かってる

を中心に記載しております。

知っていても特に何かが変わるわけではない…けど、いつかどこかで何かに役立つかもしれない息抜き専用雑学としてご認識いただければ幸いです。

徳川家光の性格や特徴

巻物

「生まれながら将軍」発言

幼い頃から割りと病弱

でも結構やんちゃ

戦話が大好き

強気な性格

おじいちゃん(徳川家康)大好き

父・徳川秀忠、母・お江嫌い

乳母・春日局びいき

外出、夜遊び好き

男好きで女装好き

結構派手なものが好き

墨絵好き

政治には割りと無関心

早年

冷徹、策士的な一面も

後年

など

徳川家光の人物像を深掘り

深掘り
幼少の頃より顔にできものがあったり、ちょっと吃音の気もあり、且つどちらかと言うとブサメンだったそうな徳川家光。

結構な病弱体質で

春日局 春日局 存命が危ぶまれるほどの病を何度か経験している

そう…。

とは対象的に容姿、知能、健康に優れた弟・国松くにまつ(後の忠長ただなが)を母・お江があからさまに可愛がり、父・秀忠もお江に倣うかたちで国松びいきは家臣たちにまで伝播していたとか。

その影響もあり、徳川家光が常に持っていたとされるお守りの中に、自ら

徳川家光 徳川家光 父である家康様みたいに私はなりたい…!

と書いた紙を入れるなど、結構な父・秀忠嫌いで大のおじいちゃん(家康)好き。

また、病弱ながらお城を抜けだしては街に遊びに行ったりと結構やんちゃな一面もあり割りと活発だったご様子。

その活発ぶりからか、柳生やぎゅう宗矩むねのりに剣術を師事してもらい

巻物 柳生新陰流の免許皆伝

まで取得するほどに。

一方で30代の頃までは

奉公人 奉公人 男色一辺倒で、女装癖も持ち合わせていた

とされ、40代手前で女性に目覚め徐々に覚醒していくこととなりました。

政治に関して

徳川家光将軍期に政治体制を強化する

  • 老中
  • 若年寄
  • 奉行
  • 大目付

などの役職が設立されたことで

  • 幕府内の役職整備
  • 参勤交代制度の導入をはじめとした幕藩体制の確立
  • 国力強化を進めた鎖国制度の樹立

などなど日本史の教科書でも割と登場機会の多い御仁。

ただ、上記は

歴史家 歴史家 父であり先代の第2代将軍・徳川秀忠が基盤を創り、その頃から仕えていた重臣たちが奨めた制度改革

と目されており、徳川家光自身は

徳川家光 徳川家光 将軍期の始めの頃は、政治にほとんど無関心

だったと見る向きが多数。

親の愛情を知らない家光を親身になって育ててくれた乳母・春日局の言うことは結構何でも聞いていた感があり、特に晩年は春日局の意向あってかまつりごとにも身を入れて取り組むようになったご様子。

徳川家光が尊敬する人

1.徳川家康

徳川家康

徳川家康 肖像

病弱だった幼少の頃、徳川家康の調合した薬を飲んで体調が快復したり、家光の将軍就任をサポートしてくれたり、

  • 徳川家康の命日
  • 元和2年4月17日
  • 徳川家光の誕生日
  • 慶長9年7月17日

が同じ「17日」など、ちょっとしたことでも

徳川家光 徳川家光 おじいちゃん(家康)と同じが嬉しい

と喜ぶほどに徳川家康が大好きだった家光。

常時持ち歩いていたお守りの中には

  • 大権現(家康)様にあやかりたい…!
  • 私は大権現様のような二世将軍になりたい

との言葉を自らしたためるなど、正に神格化していたご様子。

天海てんかい主導の元で日光東照宮を改築させ、ほぼ今の豪華な形に完成させたのも家光将軍期のことでした。

逆に、徳川家光自身は第3代の将軍なのに

徳川家光 徳川家光 (徳川)二世

と自称したり、父・秀忠の喪中にもかかわらず祖父・家康の法要に出かけていたりと、弟・国松びいきだった父・秀忠のことは本当によく思っていなかったことが伺えます。

2.伊達政宗

伊達政宗

伊達政宗 肖像

戦の実体験話が好きで、特に伊達だて政宗まさむねに対しては、

徳川家光 徳川家光 親父殿

と呼ぶほど慕っていたとか。

伊達政宗に対して大名としては異例の厚遇もしております。

徳川家光を語る言葉

言葉

将軍像

家康は全て自分で決めた。

秀忠はそれには及ばなかったが、半分は自分で決めた。

家光は全て重臣任せであった。

by 小説家・海音寺潮五郎

金銭感覚

家康で倹約し、

秀忠で貯め、

家光で一気に散財した。

by 多数

徳川家光の性格や人柄が垣間見れるエピソード

異例の将軍宣下

桜

徳川家光が征夷大将軍に就任した後に、諸国の大名を江戸城に呼び寄せて言ったとされる言葉。

徳川家光 徳川家光
貴殿らは祖父(家康)や父(秀忠)と親交があり、ひいきにされる者もいたかもしれぬ。

が、貴殿らと余は親しくもないし、貴殿らのおかげで将軍になれたわけではない。

余は生まれながらの将軍である。

よって貴殿らがこれまで祖父や父とどのような関係であったかは関係なく余の一家来として今後は働いてもらう。

これに不服があれば今すぐ国許へ帰り弓矢を取るがよい。

我が徳川800万石で余自らお相手致す。

超意訳

と異例中の異例で宣戦布告とも言える発言を。

  • 幼少期は病弱だった
  • 家臣のほとんどは弟・国松びいきだった

のに加えて、

侍 今後ナメられないように、と伊達政宗がアドバイスしたのでは…?

などの背景や憶測があるものの、当時20歳と若く血気盛んな怖いもの知らず振りが伺い知れるエピソードとして残っております。

お吸い物の中の砂

お吸い物

徳川家光が鷹狩りをしていたときのこと。

その日は強風が吹き荒れ成果もなく家光は不機嫌だったそう。

鷹狩りを切り上げ近くの寺で食事をしたところ、出されたお吸い物の中に砂が入っておりました。

不機嫌だった家光は、お吸い物の中に砂が混じっていた粗相に怒り

徳川家光 徳川家光 台所頭に腹を切らせよ

と家臣に命令。

台所頭

給仕長、料理長

切腹を言い渡された台所頭は

台所頭
決して御膳に砂が入っていたわけではございませぬ。

今日のような風の強い日に上様が御口をすすがずに召されましたから砂をかまれたと思われます。

口をすすがれ、それでも砂をかまれましたのならば、首をはねられるなり腹を切るなり仰せに従います。

と進言。

結果は台所頭の言うとおりで、家光はこの申し開きを賞賛し陳謝を込めて褒美を与えたそう。

やはり強気な姿勢ながら、意見を聞く耳はしっかりと持っていたご様子。

余談
息子である第4代将軍・徳川家綱との性格対比も面白いエピソード

徳川家光の趣味:墨絵

割と墨絵を好んでいたとされる家光。

家臣に自分の描いた墨絵をあげていたそうで、実際に家光が描いた墨絵がいくつか発見されています。

そんな家光画伯の作品を何点か。

家光画伯のうさぎ

家光画伯:「うさぎ図」

家光画伯の鳥

家光画伯:「鳳凰図」

家光画伯の鳥

家光画伯:「雄鶏図」

家光画伯のニワトリ

家光画伯:「鶏図」

家光画伯の梟

家光画伯:「ふくろう図」

府中美術館展示
出典:德川記念財団蔵 / 下関市長府博物館

余談
息子で第4代将軍徳川家綱も描いている「雄鶏図」

徳川家光の女性関係 色恋事情

着物女性たちの花見

若い時はとにかく男色

江戸時代初期はまだ仏教の教えが強くあり、男色に関しても特に珍しいものではありませんでしたが、当時の男色傾向として

歴史家 歴史家 年長者が若い美男子をかわいがる傾向が多かった

ものの、徳川家光の場合は13〜14歳の頃から男色に目覚めており、可愛がられる方を好んだそう。

歌舞伎にハマり自分でも化粧をしていたとされ、相手には男らしい男を好んだご様子。

そんな家光の男色恋愛傾向をいくつかご紹介。

徹底的に尽くすタイプ

色恋
気に入った相手が見つかると

  • 年齢等関係なく領地をあてがう
  • こっそりお城を抜け出して、相手の家まで自ら出向く
  • 家臣たちの前でも相手に対して明らかに態度が違う

などなど徹底的に熱を上げるのが家光流。

色恋多き御仁

桜
徳川家光が男色の素質を開花させ、関係を持ったとされる相手は20人をくだらないとか。

結構嫉妬深い

ムフフ

  • いい感じになった男に実は女がいると分かる位の格下げ
  • 自分と付き合ってる最中に相手が奥さんとの間に子ども儲けたことを知る領地没収
  • 相手が他の男と二股かけていたことが発覚打首

と、結構嫉妬深く

  • 気に入った男性に身体の関係を拒否された追い回して惨殺

するなど

奉公人 奉公人 徳川家光の近侍や従事者で不審な死を遂げる者は少なくなかった

と噂になる程だったそう。

お万の方との出会いが転機

お万の方

お万の方(永光院)肖像

出典:京都西山善峯寺

徳川家光が30代半ばを過ぎても男色一辺倒で子どもがいなかったことを案じた乳母・春日局は、全国から美女と呼ばれる女性を片っ端から集めて、どうにかその気になってもらおうと画策します。

が、徳川家光の好みとは違ったのか、始めはなかなか成果が出ず。。

そんな中、徳川家光が気を留めたのがまんかたでした。

ボーシッシュで美少年系な出で立ちがよかったか、ここから家光は女性にも目覚めます。

残念ながらお万の方との間に子は授からずも、初子が38歳と当時では異例とも言える遅さながら、以後それぞれ別々の側室に

家綱いえつな

第4代将軍

綱吉つなよし

第5代将軍

と続く子が産まれたことから

歴史家 歴史家 家光の男色を改心させたお万の方の影響は、その後の日本史を見ると大きいのでは…!

と評価する歴史家は多数。

「玉の輿」の由来

お玉

お玉(桂昌院)肖像

出典:長谷寺

女性がお金持ちの男性と結婚して自身の生活ステータスを一気に上げたりすることを玉の輿と言ったりしますが、この言葉の由来とされるのが家光の側室の一人のたま

お玉は京都にあった八百屋の娘ながら時の将軍・徳川家光に見初められます。

当時はまだ相手の身分や格式が重んじられていた時代、

姫 仮に側室になるにも、建前上とはいえ相応の身分が必要

とされておりました。

そこでお玉は格も高く由緒あった京都の大店の家に養女として出されます。

そこから御輿みこしに乗って江戸まで赴いたことから玉の輿と呼ばれるようになったとされております。

諸説あり

余談
お玉は第5代将軍・徳川綱吉の母で、後に桂昌院けいしょういんとなり大奥で権勢を振るう人物でもあります。

実質的な大奥誕生

出典:楊洲周延画「千代田の大奥」大奥

第2代将軍・徳川秀忠の時から大奥としての場所はありましたが、春日局が徳川家光に跡取りができないことを案じ、

いつでも将軍のとぎが出来るよう女性を集めて囲ったシステム

が、現在イメージされる大奥の実質的なはじまりとされております。

徳川家光の雑学的プロフィール

徳川家光

徳川家光 肖像

出典:徳川記念財団蔵

人物

  • 生誕
  • 1604年8月12日
  • 旧暦:慶長9年7月17日
  • 星座
  • しし座
  • 身長
  • 約157cm

江戸時代の平均身長

155〜160cm

家系

  • 血筋
  • 徳川将軍家
  • 幼名
  • 竹千代たけちよ
  • 父親
  • 徳川とくがわ秀忠ひでただ
  • 次男
  • 母親
  • ごう
  • 乳母
  • 春日局かすがのつぼね

将軍期間

奥方

子ども

晩年

江戸時代の平均寿命

45〜50歳

徳川家光将軍期の主な世情

徳川家光将軍期の主な施策

武断政治を推進

幕藩体制の確率

役職整備老中、若年寄、奉行、大目付など

参勤交代制度の導入

内国強化(鎖国)制度の確立

農民統治を目的とした
慶安の御触書を発布

など

国内の主な出来事

島原の乱1637(寛永14)年〜

寛永の大飢饉1640(寛永17)年頃〜

など

徳川家光将軍期の世界情勢

インドで
タージ・マハールの建設が始まる1632(寛永9)年

イギリスで
ピューリタン清教徒革命が起こる1642(寛永19)年

など

徳川家光の次代将軍、先代将軍

当記事の参照や備考

徳川記念財団

国立国会図書館

角匠

一部個別に記載

掲載内容に関して

年代や星座等は基本的に新暦換算で記載しております。

年数や年齢は代による暦の違いや数え年の違いから、出典により±1〜3年の誤差がある場合もございます。

掲載画像はあくまで参考イメージとしてご覧くださいませ。

当記事は2022年末までに分かっている史料等や諸記事を元に記載しております。

今後見つかるかもしれない史料等によっては、全く違う内容になる可能性がある旨ご了承くださいませ。

参考文献など

  • 『徳川将軍列伝』著:北島正元版:秋田書店,1989/12/1
  • 『徳川将軍家十五代のカルテ』著:篠田達明版:新潮新書,2005/5/16
  • 『徳川十五代史』著:内藤耻叟版:新人物往来社,1985/11/1
  • 『徳川名君名臣言行録』著:岡谷繁実、安藤英男版:新人物往来社,1981/1/1
  • 『将軍の私生活』著:三田村鳶魚版:グーテンベルク21,2016/1/15
  • 『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』著:鈴木尚版:東京大学出版会,1985/12/1
  • 『徳川将軍家墓碑総覧』著:秋元茂陽版:星雲社,2008/1/10
  • 『東照大権現祝詞』著:春日局?蔵:日光山輪王寺所
  • 『徳川家光』著:山岡荘八版:東照宮社務所,2019/9/25
  • 『徳川家光:我等は固よりの将軍に候』著:野村玄版:ミネルヴァ書房,2013/9/10
  • 『徳川家光:江戸人物伝』著:ぎたとおる画:中島健志版:ポプラ社,2011/12/16
  • 『徳川家光 英明・武勇の三代将軍』著:羽生道英版:PHP文庫,1999/11/1

などなど他諸冊

徳川将軍家のご参考までに

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